明治天皇御製和歌「船中見島」

めいじてんのうぎょせいわか「せんちゅうにしまをみる」
     

阪正臣(1855~1931)は、明治~昭和時代前期の歌人で、書家でもありました。安政2年(1855)3月生まれで、権田直助(1809~1887)、高崎正風(1912~1836)に学びます。宮内省にはいり、華族女学校教授、御歌所寄人をつとめ、優雅な仮名をかき、女学校用習字教科書に筆をとりました。愛知県出身です。父が交流していた貫名菘翁(1778~1863)の書を学び、書風を確立したといいます。

本書は、落款に「御哥所寄人従五位」とあることから、明治三十四年から大正十年頃の作品だと分かります。歌意は「船に乗って行く前途に遠く遠く見えて居た島は、もう何時の間に後背になったのであらうか、私が乗る船は何時其処を漕ぎ抜けたのであらう、思へば船脚は早いもの、島といふものは、おもしろい景色を見せるものである」というものです。(かな部 資料紹介 2015年12月号)

                                               
作品名明治天皇御製和歌「船中見島」
ふりがなめいじてんのうぎょせいわか「せんちゅうにしまをみる」
作者阪正臣
国名日本
制作年明治時代~大正時代
寸法142.7×35.7cm
目録番号日-書-101
釈文明治天皇御製 船中見島 うしろにはいつなりにけむこくふねの ゆくへはるかにみえししまやま 御哥所寄人従五位大江朝臣正臣謹書

阪正臣(1855~1931)は、明治~昭和時代前期の歌人で、書家でもありました。安政2年(1855)3月生まれで、権田直助(1809~1887)、高崎正風(1912~1836)に学びます。宮内省にはいり、華族女学校教授、御歌所寄人をつとめ、優雅な仮名をかき、女学校用習字教科書に筆をとりました。愛知県出身です。父が交流していた貫名菘翁(1778~1863)の書を学び、書風を確立したといいます。

本書は、落款に「御哥所寄人従五位」とあることから、明治三十四年から大正十年頃の作品だと分かります。歌意は「船に乗って行く前途に遠く遠く見えて居た島は、もう何時の間に後背になったのであらうか、私が乗る船は何時其処を漕ぎ抜けたのであらう、思へば船脚は早いもの、島といふものは、おもしろい景色を見せるものである」というものです。(かな部 資料紹介 2015年12月号)

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