楊守敬(1839~1915)は、字は惺吾、隣蘇老人と号した。湖北宜都の人。同治元年(1862)の挙人。進士に及第することができず、著述に専念して歴史地理に大きな業績を残した。書学に関する著述、『平碑記』『平帖記』『学書邇言』は、我国でよく読まれ、光緒6年(1880)、駐日公使の随員として来日すると、大いに碑学を鼓吹した。その書は欧陽詢を宗とした独特の渋味をそなえている。本書は民国元年(1912)、74歳時の作品。雄大な破磔は、楊峴(1819~1896)の隷書を想起させる。
作品名 | 隷書八言対聯 |
ふりがな | れいしょはちごんついれん |
作者 | 楊守敬 |
国名 | 中国 |
制作年 | 民国元年(1912) |
寸法 | 各147.2×37.3cm |
目録番号 | 4A-4069 |
釈文 | 春朝聴曲仲若雅情 秋日登高孟嘉清興 壬子四月 楊守敬書 |
楊守敬(1839~1915)は、字は惺吾、隣蘇老人と号した。湖北宜都の人。同治元年(1862)の挙人。進士に及第することができず、著述に専念して歴史地理に大きな業績を残した。書学に関する著述、『平碑記』『平帖記』『学書邇言』は、我国でよく読まれ、光緒6年(1880)、駐日公使の随員として来日すると、大いに碑学を鼓吹した。その書は欧陽詢を宗とした独特の渋味をそなえている。本書は民国元年(1912)、74歳時の作品。雄大な破磔は、楊峴(1819~1896)の隷書を想起させる。