曹素功墨

そうそこうぼく
     

今回は中国の有名な工房が製作した墨をご紹介します。
ここに記されている「曹素功」というのは、明末清初の名墨匠の名前であるとともに、墨のブランド名です。曹素功(1615~1689・本名は曹聖臣、素功は号)は、明の万暦年間に安徽省歙県に生まれました。彼は、若い頃より墨を愛し、明代の有名な墨匠の技術を継承して、自ら墨工房を創業しました。その際、自身の号である「曹素功」を工房のブランド名としたのです。
代々の「曹素功」が造る墨は、見た目の豪華さよりも品質や実用性を重んじたため高く評価され、現代にまで引き継がれています。
それでは詳しく見ていきましょう。縦・横7×1.3 ㎝、厚さ1.2 ㎝の墨が二本木製の小箱に収められています。箱の蓋には、「蔵墨 曹素功仿古」と金字で書かれ、墨本体には「徽歙曹素功監造「第一 重五銭」との型押し文字に金泥が施されています。蓋の「蔵墨 曹素功仿古」は、「曹素功」が収蔵している古い墨の復刻版を意味しているのでしょう。墨にある「徽歙曹素功監造」の「歙」は、安徽省歙県の略で、全体で「曹素功」が監修・製造したことを謳(うた)っています。「第一 重五銭」の「第一」が何の番号を表すかは不明ですが、「重五銭」は重量で、一銭約3.3gとすれば、本品は約17gですので、ほぼ合致します。造りは非常に簡素で、「曹素功」が重視した品質第一の精神を感じさせてくれます。
最後に、この墨の製造時期ですが、墨の上部に「貢煙」と型押しされています。これは、墨の等級を表す言葉で、1960 年代後半の文化大革命まで使われていました。ですから、少なくともそれ以前、墨や箱の風格から見れば、恐らく20 世紀初頭の清末から民国時代頃ではないかと思われます。(教師月報 2019年12月号)

                                           
作品名曹素功墨
ふりがなそうそこうぼく
作者不詳
国名中国
制作年清末~民国
寸法7.0×1.3×1.2cm
目録番号97-0045

今回は中国の有名な工房が製作した墨をご紹介します。
ここに記されている「曹素功」というのは、明末清初の名墨匠の名前であるとともに、墨のブランド名です。曹素功(1615~1689・本名は曹聖臣、素功は号)は、明の万暦年間に安徽省歙県に生まれました。彼は、若い頃より墨を愛し、明代の有名な墨匠の技術を継承して、自ら墨工房を創業しました。その際、自身の号である「曹素功」を工房のブランド名としたのです。
代々の「曹素功」が造る墨は、見た目の豪華さよりも品質や実用性を重んじたため高く評価され、現代にまで引き継がれています。
それでは詳しく見ていきましょう。縦・横7×1.3 ㎝、厚さ1.2 ㎝の墨が二本木製の小箱に収められています。箱の蓋には、「蔵墨 曹素功仿古」と金字で書かれ、墨本体には「徽歙曹素功監造「第一 重五銭」との型押し文字に金泥が施されています。蓋の「蔵墨 曹素功仿古」は、「曹素功」が収蔵している古い墨の復刻版を意味しているのでしょう。墨にある「徽歙曹素功監造」の「歙」は、安徽省歙県の略で、全体で「曹素功」が監修・製造したことを謳(うた)っています。「第一 重五銭」の「第一」が何の番号を表すかは不明ですが、「重五銭」は重量で、一銭約3.3gとすれば、本品は約17gですので、ほぼ合致します。造りは非常に簡素で、「曹素功」が重視した品質第一の精神を感じさせてくれます。
最後に、この墨の製造時期ですが、墨の上部に「貢煙」と型押しされています。これは、墨の等級を表す言葉で、1960 年代後半の文化大革命まで使われていました。ですから、少なくともそれ以前、墨や箱の風格から見れば、恐らく20 世紀初頭の清末から民国時代頃ではないかと思われます。(教師月報 2019年12月号)

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