京都出身の儒学者である平沢旭山(1733~1791)が書いた、百人一首の石摺本。
跋は平沢自身が書いたものを、佳儀堂こと稲垣有儀が書き写している。というのも、天明8年(1788)秋頃、平沢は病を患っており、決して十分な書は書けなかったようである。
しかし、同年の夏に書いた本文の和歌には、気迫あふれる力強い書風を見ることができる。
京都出身の儒学者である平沢旭山(1733~1791)が書いた、百人一首の石摺本。
跋は平沢自身が書いたものを、佳儀堂こと稲垣有儀が書き写している。というのも、天明8年(1788)秋頃、平沢は病を患っており、決して十分な書は書けなかったようである。
しかし、同年の夏に書いた本文の和歌には、気迫あふれる力強い書風を見ることができる。
作品名 | 東洲先生書百人一首(全) |
ふりがな | とうしゅうせんせいしょひゃくにんいっしゅ |
作者 | 平沢旭山 |
国名 | 日本 |
制作年 | 江戸時代後期 天明8年(1788) |
寸法 | 27.5×18.5cm |
目録番号 | WHI-0027 |
京都出身の儒学者である平沢旭山(1733~1791)が書いた、百人一首の石摺本。
跋は平沢自身が書いたものを、佳儀堂こと稲垣有儀が書き写している。というのも、天明8年(1788)秋頃、平沢は病を患っており、決して十分な書は書けなかったようである。
しかし、同年の夏に書いた本文の和歌には、気迫あふれる力強い書風を見ることができる。