筒井政憲(1778~1859)は幕末期の旗本であり、大町奉行、長崎奉行等を歴任した。シーボルト事件や、ロシアのプチャーチンとの交渉にあたった人物としても知られる。この作品は、政憲が77歳の時に書いたものである。重厚な墨線でありながらも伸びやかさを兼ね備え、清々しい仕上がりとなっている。引首印に「筆研(硯)三昧」という言葉を選んだことも面白い。
函書は、清水澄(しみず とおる、1868~1947)が大正13年(1924)7月に記したもの。文章にある「穂積」とは穂積陣重(1855~1926)であり、清水澄と弟・八束は師弟関係にあたる。筒井政憲が江戸の奉行であることから、法制史の権威たちによって受け継がれた作品といえる。恐らく、穂積の最晩年に、清水に譲渡されたのだろう。その後、昭和22年(1947)に日本国憲法公布に際して清水が殉死したためか、いつしか散逸したものが当館に所蔵されたと思われる。
作品名 | 松竹梅五言句三幅対 |
ふりがな | しょうちくばいごごんくさんぷくつい |
作者 | 筒井政憲 |
国名 | 日本 |
制作年 | 嘉永6年(1853) |
寸法 | 各95.3×29.3cm |
目録番号 | 日-書-131 |
釈文 | 松高白鶴眠 修竹千年緑 梅花雪襄香 七十七叟筒井憲 |
筒井政憲(1778~1859)は幕末期の旗本であり、大町奉行、長崎奉行等を歴任した。シーボルト事件や、ロシアのプチャーチンとの交渉にあたった人物としても知られる。この作品は、政憲が77歳の時に書いたものである。重厚な墨線でありながらも伸びやかさを兼ね備え、清々しい仕上がりとなっている。引首印に「筆研(硯)三昧」という言葉を選んだことも面白い。
函書は、清水澄(しみず とおる、1868~1947)が大正13年(1924)7月に記したもの。文章にある「穂積」とは穂積陣重(1855~1926)であり、清水澄と弟・八束は師弟関係にあたる。筒井政憲が江戸の奉行であることから、法制史の権威たちによって受け継がれた作品といえる。恐らく、穂積の最晩年に、清水に譲渡されたのだろう。その後、昭和22年(1947)に日本国憲法公布に際して清水が殉死したためか、いつしか散逸したものが当館に所蔵されたと思われる。