丁尚庾(1865~1935)は字を二仲、号を潞河としました。作品の署名には「二仲」を多く用いました。江蘇南通の人。近代の著名篆刻家といえます。若いころは北京に居を構え、鼻烟壷の絵付けで名を馳せます。後に南京に居を定め、南京高等師範学校に在籍しました。
かねてから篆刻に巧みで、竹印を刻すなどしました。その刻法を以って漢印を倣い、また大篆を取り入れるなど独特の刻風を生み出し、自ら一派を成しました。当時北京の斉白石と「南丁北斉」と称されました。
この作品は、鼻烟壷装飾の経験が影響しているのでしょうか、薄い絵具を塗り重ね、透明感のあるきらびやかな作品に仕上がっています。
作品名 | 梅松図 |
ふりがな | ばいしょうず |
作者 | 丁尚庾 |
国名 | 中国 |
制作年 | 中華民国 |
寸法 | 132.0×68.0cm |
目録番号 | 4b-0512 |
釈文 | 丁二仲写生 |
丁尚庾(1865~1935)は字を二仲、号を潞河としました。作品の署名には「二仲」を多く用いました。江蘇南通の人。近代の著名篆刻家といえます。若いころは北京に居を構え、鼻烟壷の絵付けで名を馳せます。後に南京に居を定め、南京高等師範学校に在籍しました。
かねてから篆刻に巧みで、竹印を刻すなどしました。その刻法を以って漢印を倣い、また大篆を取り入れるなど独特の刻風を生み出し、自ら一派を成しました。当時北京の斉白石と「南丁北斉」と称されました。
この作品は、鼻烟壷装飾の経験が影響しているのでしょうか、薄い絵具を塗り重ね、透明感のあるきらびやかな作品に仕上がっています。