孫廷翰(1861~1918)は、字を運章、号を問清といい、浙江諸暨の人。光緒15年(1889)の進士。義和団事件の際、多くの書籍が失われたが、孫廷翰は家産を傾けて書籍千冊を影印し、北京大学等に寄贈した。民国成立後は、浙江省教育庁副長官をつとめた。
その書は趙孟頫(1254~1322)から入り、のち顔真卿(709~785)を学んだ。本作は、向勢の結体、「蚕頭燕尾」の筆法ともに顔法に忠実な対聯作品。重厚な書風が瓦塼紋の刷られた料紙に映える。
孫廷翰(1861~1918)は、字を運章、号を問清といい、浙江諸暨の人。光緒15年(1889)の進士。義和団事件の際、多くの書籍が失われたが、孫廷翰は家産を傾けて書籍千冊を影印し、北京大学等に寄贈した。民国成立後は、浙江省教育庁副長官をつとめた。
その書は趙孟頫(1254~1322)から入り、のち顔真卿(709~785)を学んだ。本作は、向勢の結体、「蚕頭燕尾」の筆法ともに顔法に忠実な対聯作品。重厚な書風が瓦塼紋の刷られた料紙に映える。
作品名 | 楷書七言対聯 |
ふりがな | かいしょしちごんついれん |
作者 | 孫廷翰 |
国名 | 中国 |
制作年 | 清末~民国 |
寸法 | 各132.7×31.1cm |
目録番号 | 5A-0789 |
釈文 | 清甫仁兄婣大人正之 知人鑑若人涛朗 愛石情如海岳顛 問清孫廷翰 |
孫廷翰(1861~1918)は、字を運章、号を問清といい、浙江諸暨の人。光緒15年(1889)の進士。義和団事件の際、多くの書籍が失われたが、孫廷翰は家産を傾けて書籍千冊を影印し、北京大学等に寄贈した。民国成立後は、浙江省教育庁副長官をつとめた。
その書は趙孟頫(1254~1322)から入り、のち顔真卿(709~785)を学んだ。本作は、向勢の結体、「蚕頭燕尾」の筆法ともに顔法に忠実な対聯作品。重厚な書風が瓦塼紋の刷られた料紙に映える。