歳寒三友図

さいかんさんゆうず
     

松・竹・梅が描かれた中央の絵画は「歳寒三友図」と呼ばれる。極寒の季節にあっても力強く成長する松・竹・梅は、「高潔さを失わない」という文人の理想を象徴している。

作者の趙起(1874~1955)は字の子雲で知られる。号は雲壑と号した。江蘇呉県の人。幼い頃家が貧しかったので、隣家の表具店の画を見て画法を学び、長じては蘇州で画家について学んだが、蘇州に流寓していた任預(1840~1896)に師事し、また倪田(1855~1919)、顧麟士(1865~1930)らと交遊しました。

30歳の時、当時蘇州に住んでいた呉昌碩(1844~1927)に入門して書、篆刻、絵画を学び、やがて師の正統を継ぎ松、竹、梅、蘭、菊、水仙、茘枝、石笋などは師呉昌碩そっくりの出来栄えで、日本人は「第二の呉昌碩」と評したといいます。

                                               
作品名歳寒三友図
ふりがなさいかんさんゆうず
作者趙起(趙雲壑)
国名中国
制作年民国32年(1943)
寸法150.0×80.0cm
目録番号4b-0122
釈文吾聞松竹梅歳寒訂三友二子窃其名居然堪左右 癸未冬日擬十三筆草堂筆 趙雲壑時年正七十

松・竹・梅が描かれた中央の絵画は「歳寒三友図」と呼ばれる。極寒の季節にあっても力強く成長する松・竹・梅は、「高潔さを失わない」という文人の理想を象徴している。

作者の趙起(1874~1955)は字の子雲で知られる。号は雲壑と号した。江蘇呉県の人。幼い頃家が貧しかったので、隣家の表具店の画を見て画法を学び、長じては蘇州で画家について学んだが、蘇州に流寓していた任預(1840~1896)に師事し、また倪田(1855~1919)、顧麟士(1865~1930)らと交遊しました。

30歳の時、当時蘇州に住んでいた呉昌碩(1844~1927)に入門して書、篆刻、絵画を学び、やがて師の正統を継ぎ松、竹、梅、蘭、菊、水仙、茘枝、石笋などは師呉昌碩そっくりの出来栄えで、日本人は「第二の呉昌碩」と評したといいます。

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