紫式部が著した源氏物語は、世界最古の長編恋愛小説ともいわれ、平安時代頃にはすでに読まれていました。源氏物語絵巻の成立によって、各場面を絵で見ることでより親しみを持ち、また、詞書を手習いの手本に用いるようにもなりました。絵巻の一部分は、二千円札の裏側にも採用されています。書作品としては、名筆と知られた伏見天皇の作品が有名です。
この巻子は、当館創立者・原田観峰の筆により、巻三十八「鈴虫」の詞書を抜書したものです。その場面は、源氏の住まいである六条院において、出家の意志を固めた妻の女三宮との鈴虫の宴と、冷泉院からの宴の誘いの和歌の二種類です。連綿体を用いて柔らかい筆遣いで、渇筆を余り用いていません。漢字かな交じりの書に近く、お手本としての作品作りを意識した書き方です。
※この作品は、2024年12月までの限定公開です
作品名 | 源氏物語「鈴虫」 |
ふりがな | げんじものがたり・すずむし |
作者 | 原田観峰 |
国名 | 日本 |
制作年 | 1970年代 |
寸法 | 33.7×212.7cm |
目録番号 | 軸-175 |
釈文 | 十五夜の夕暮に、仏の御前に宮おはして、端近う眺めたまひつつ念誦したまふ。若き尼君たち二、三人、花奉るとて鳴らす閼伽坏の音、水のけはひなど聞こゆる、さま変はりたるいとなみに、そそきあへる、いとあはれなるに、例の渡りたまひて、
「虫の音いとしげう乱るる夕べかな」
とて、われも忍びてうち誦じたまふ阿弥陀の大呪、いと尊くほのぼの聞こゆ。げに、声々聞こえたる中に、鈴虫のふり出でたるほど、はなやかにをかし。
「秋の虫の声、いづれとなき中に、松虫なむすぐれたるとて、中宮の、はるけき野辺を分けて、いとわざと尋ね取りつつ放たせたまへる、しるく鳴き伝ふるこそ少なかなれ。名には違ひて、命のほどはかなき虫にぞあるべき。
心にまかせて、人聞かぬ奥山、はるけき野の松原に、声惜しまぬも、いと隔て心ある虫になむありける。鈴虫は、心やすく、今めいたるこそらうたけれ」
などのたまへば、宮、
「おほかたの秋をば憂しと知りにしをふり捨てがたき鈴虫の声」
と忍びやかにのたまふ。いとなまめいて、あてにおほどかなり。
「いかにとかや。いで、思ひの外なる御ことにこそ」とて、
「心もて草の宿りを厭へどもなほ鈴虫の声ぞふりせぬ」
冷泉院より御消息あり。御前の御遊びにはかにとまりぬるを口惜しがりて、左大弁、式部大輔、また人びと率ゐて、さるべき限り参りたれば、大将などは六条の院にさぶらひたまふ、と聞こし召してなりけり。
雲の上をかけ離れたるすみかにも
もの忘れせぬ秋の夜の月 |
紫式部が著した源氏物語は、世界最古の長編恋愛小説ともいわれ、平安時代頃にはすでに読まれていました。源氏物語絵巻の成立によって、各場面を絵で見ることでより親しみを持ち、また、詞書を手習いの手本に用いるようにもなりました。絵巻の一部分は、二千円札の裏側にも採用されています。書作品としては、名筆と知られた伏見天皇の作品が有名です。
この巻子は、当館創立者・原田観峰の筆により、巻三十八「鈴虫」の詞書を抜書したものです。その場面は、源氏の住まいである六条院において、出家の意志を固めた妻の女三宮との鈴虫の宴と、冷泉院からの宴の誘いの和歌の二種類です。連綿体を用いて柔らかい筆遣いで、渇筆を余り用いていません。漢字かな交じりの書に近く、お手本としての作品作りを意識した書き方です。
※この作品は、2024年12月までの限定公開です