丁仁(1879~1949)は原名を仁友、字を子修、また輔之といい、鶴盧と号した。浙江杭州の人。画は梅花を善くし、書は甲骨文・金石文を精写し、篆刻 にも優れた。光緒30年(1904)には王禔らとともに杭州に西泠印社を設立した。祖父以来の蔵書家で、西泠八家の刻印を多数所蔵し、『丁氏八家印選』 『杭郡印輯』などを編纂した。本作は甲骨文による自作詩で、民国34年(1945)67歳の時の作。
作品名 | 篆書甲骨文七言絶句軸 |
ふりがな | てんしょこうこつぶんしちごんぜっくじく |
作者 | 丁仁 |
国名 | 中国 |
制作年 | 民国34年(1945) |
寸法 | 130.0×31.7cm |
目録番号 | 4A-1463 |
釈文 | 武侯昔日事農桑三顧名垂 史冊光千載下人猶企望南陽 出処自襄陽 游襄陽隆中諸葛草廬詩一首集商卜文字 乙酉初夏六月鶴叟丁輔之篆于海上 時年六十七 |
丁仁(1879~1949)は原名を仁友、字を子修、また輔之といい、鶴盧と号した。浙江杭州の人。画は梅花を善くし、書は甲骨文・金石文を精写し、篆刻 にも優れた。光緒30年(1904)には王禔らとともに杭州に西泠印社を設立した。祖父以来の蔵書家で、西泠八家の刻印を多数所蔵し、『丁氏八家印選』 『杭郡印輯』などを編纂した。本作は甲骨文による自作詩で、民国34年(1945)67歳の時の作。