真草千字文(和刻本)

しんそうせんじもん(わこくぼん)
     

明治以降の習字教科書やお手本には、王羲之(303?~361?)を基本にした書が用いられました。その背景には、巻菱湖(1777~1843)の書風が明治維新の新興の感覚に受け入れられ、明治政府の公的文書が菱湖風に改められたこと、また明治初期に多くの教科書を執筆した福沢諭吉(1834~1901)もまた、王羲之~趙孟頫(1254~1322)~菱湖の書風を近代書道教育に採用したことが挙げられます。従って、王羲之の法帖を臨書したお手本もまた、数多く出版されるようになります。

しかし、それは単なる王羲之「風」への回帰ではなく、王羲之への直接的接近を意味しました。人びとは中国へ渡り、王羲之作品の良質な拓本を求めます。書の世界における原典への回帰は、日本が近代国家として新たに出発しようとすることと、同じ方向性を持った動きではなかったでしょうか。

 

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法帖「真草千字文」 帖-単-066(1.58MB)

                                           
作品名真草千字文(和刻本)
ふりがなしんそうせんじもん(わこくぼん)
作者智永
国名日本
制作年原本:隋時代
寸法32.1×18.0×1.9cm
目録番号帖ー単ー066

明治以降の習字教科書やお手本には、王羲之(303?~361?)を基本にした書が用いられました。その背景には、巻菱湖(1777~1843)の書風が明治維新の新興の感覚に受け入れられ、明治政府の公的文書が菱湖風に改められたこと、また明治初期に多くの教科書を執筆した福沢諭吉(1834~1901)もまた、王羲之~趙孟頫(1254~1322)~菱湖の書風を近代書道教育に採用したことが挙げられます。従って、王羲之の法帖を臨書したお手本もまた、数多く出版されるようになります。

しかし、それは単なる王羲之「風」への回帰ではなく、王羲之への直接的接近を意味しました。人びとは中国へ渡り、王羲之作品の良質な拓本を求めます。書の世界における原典への回帰は、日本が近代国家として新たに出発しようとすることと、同じ方向性を持った動きではなかったでしょうか。

 

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