王个簃(1896~1988)は名を賢、字を啓之といい、号の个簃で知られる。幼くして詩文・金石・書画を好み、二七歳の時、上海にわたって呉昌碩に師事し、昌碩晩年の高弟となった。民国時代は美術教育に従事し、解放後は多くの美術団体などの理事・委員をつとめた。その作風は書・画・篆刻すべてに師をよく継承しており、本作は、金泥を散らした冷金箋に、輪郭を描かない没骨の技法で多子多産を象徴する石榴を描いている。
作品名 | 石榴図 |
ふりがな | ざくろず |
作者 | 王个簃(王賢) |
国名 | 中国 |
制作年 | 民国28年(1939) |
寸法 | 82.0×35.6cm |
目録番号 | 4b-0102 |
釈文 | 宗涇学兄嘉礼 己卯九秋个簃王賢 写祝〓月客滬上 榴房拆錦囊 珊瑚何歯々試展 画図看 凭将頌多子 芳々〓長 〓録明 人句〓〓 |
王个簃(1896~1988)は名を賢、字を啓之といい、号の个簃で知られる。幼くして詩文・金石・書画を好み、二七歳の時、上海にわたって呉昌碩に師事し、昌碩晩年の高弟となった。民国時代は美術教育に従事し、解放後は多くの美術団体などの理事・委員をつとめた。その作風は書・画・篆刻すべてに師をよく継承しており、本作は、金泥を散らした冷金箋に、輪郭を描かない没骨の技法で多子多産を象徴する石榴を描いている。