本作は、三国時代の呉に建てられた石碑《天発神讖碑》を臨書したものです。
《天発神讖碑》は独特の書風を持つ碑として有名です。書体は篆書体ですが、隷書体の筆法を用いていると言われ、結果として篆書体でも隷書体でもない、独自の書体となっています。
原石は清の嘉慶10年(1806)に火災で焼失したため、今では拓本のみが伝わっています。
汪洵(?~1915)による臨書作品を見ると、《天発神讖碑》の一見奇怪な書体を見事に再現しています。
よく見ると、線には微妙な肥痩とカスレが生じています。また、墨の入った線でも、少し震えているような線質が散見されます。このような線質は、中華民国初期の上海で流行した、あえて筆を震わせて書く「鋸体」という書体と共通するものを感じさせます。
厚みのある線質と奇怪な字形が組み合わさり、独特の力強さを鑑賞者に感じさせる作品です。
作者の汪洵は清時代末の官僚で、晩年は上海で書画を売って生活しました。呉昌碩(1844~1927)や高邕(1850~1921)と同時期に活躍したことでも知られます。
作品名 | 篆書臨天発神讖碑軸 |
ふりがな | てんしょりんてんぱつしんしんひじく |
作者 | 汪洵 |
国名 | 中国 |
制作年 | 清時代末期 光緒30年(1904) |
寸法 | 182.5×96.5cm |
目録番号 | 4A-3766 |
本作は、三国時代の呉に建てられた石碑《天発神讖碑》を臨書したものです。
《天発神讖碑》は独特の書風を持つ碑として有名です。書体は篆書体ですが、隷書体の筆法を用いていると言われ、結果として篆書体でも隷書体でもない、独自の書体となっています。
原石は清の嘉慶10年(1806)に火災で焼失したため、今では拓本のみが伝わっています。
汪洵(?~1915)による臨書作品を見ると、《天発神讖碑》の一見奇怪な書体を見事に再現しています。
よく見ると、線には微妙な肥痩とカスレが生じています。また、墨の入った線でも、少し震えているような線質が散見されます。このような線質は、中華民国初期の上海で流行した、あえて筆を震わせて書く「鋸体」という書体と共通するものを感じさせます。
厚みのある線質と奇怪な字形が組み合わさり、独特の力強さを鑑賞者に感じさせる作品です。
作者の汪洵は清時代末の官僚で、晩年は上海で書画を売って生活しました。呉昌碩(1844~1927)や高邕(1850~1921)と同時期に活躍したことでも知られます。