習字私用文 一集(全)

しゅうじしようぶん いっしゅう(ぜん)
     

この習字手本は、「欧行を送る文」など、行草書体で手紙の文例を書いたもので、習字の手本として活用できるだけでなく、手紙の書き方も学べるものとなっています。

著者の黒田行元こと黒田麹廬(くろだ きくろ、1827~1892)は、近江・膳所藩の儒学者の長男として生まれ、蘭学を学んでいました。オランダ語だけでなく、英語、フランス語、ドイツ語など、多言語に精通していました。冒険小説の『ロビンソン・クルーソー』を日本語に訳した最初の人でもあります。

書を担当した川瀬白巖は、黒田麹廬の著書をはじめ、明治の初め頃に多くの習字教科書を書いており、関西を中心に活躍したようですが、確かな経歴は分かっていません。

また冒頭には、岡田篁所(1821~1903)の題字があります。岡田は長崎出身ですが、大坂で彦根藩士の宇津木静区(1809~1837、岡本黄石の兄)に学んだこともあり、近江所縁の人物です。そのような関係から、この手本にも書を寄せたと思われます。

                                           
作品名習字私用文 一集(全)
ふりがなしゅうじしようぶん いっしゅう(ぜん)
作者著:黒田行元/書:川瀬白巖
国名日本
制作年明治6年(1873)
寸法22.5×15.5cm
目録番号KSA-0004

この習字手本は、「欧行を送る文」など、行草書体で手紙の文例を書いたもので、習字の手本として活用できるだけでなく、手紙の書き方も学べるものとなっています。

著者の黒田行元こと黒田麹廬(くろだ きくろ、1827~1892)は、近江・膳所藩の儒学者の長男として生まれ、蘭学を学んでいました。オランダ語だけでなく、英語、フランス語、ドイツ語など、多言語に精通していました。冒険小説の『ロビンソン・クルーソー』を日本語に訳した最初の人でもあります。

書を担当した川瀬白巖は、黒田麹廬の著書をはじめ、明治の初め頃に多くの習字教科書を書いており、関西を中心に活躍したようですが、確かな経歴は分かっていません。

また冒頭には、岡田篁所(1821~1903)の題字があります。岡田は長崎出身ですが、大坂で彦根藩士の宇津木静区(1809~1837、岡本黄石の兄)に学んだこともあり、近江所縁の人物です。そのような関係から、この手本にも書を寄せたと思われます。

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