習字の際に古人の筆跡を手本とすることは、江戸時代にも盛んであり、中には、様ざまな人物の筆跡を蒐集して楽しむ人もいた。編者の玉田成章(生卒年不詳)は、各地に伝わる古人の筆跡を尋ね、それらの文字を書き写し、石に刻して刊行した。本帖の冒頭には、書名の由来となった「新治(万葉仮名で「珥比磨利」と表記)筑波を過ぎて幾夜か寝つる」の歌が刻される。これは古代神話に登場する日本武尊の作と伝わる歌である。なお当館所蔵本は、林述斎(1768~1841)の跋(寛政9年7月25日、1797)があり、後刷であることが分かる。ただし、大正3年(1914)複製本とは異なり、楊貴氏墓誌が収録されていない。
なお近年、もう一種の作品が発見され、旧来の帖にはない「宇治橋断碑」等が含まれるものが見つかった。椿椿山旧蔵品。
作品名 | 耳比磨利帖(乾・坤) |
ふりがな | にいばりじょう |
作者 | 玉田成章 |
国名 | 日本 |
制作年 | 江戸時代中期 天明7年(1787)序 寛政9年(1797)跋 |
寸法 | 31.2×22.0cm |
目録番号 | 帖ー集ー066 |
習字の際に古人の筆跡を手本とすることは、江戸時代にも盛んであり、中には、様ざまな人物の筆跡を蒐集して楽しむ人もいた。編者の玉田成章(生卒年不詳)は、各地に伝わる古人の筆跡を尋ね、それらの文字を書き写し、石に刻して刊行した。本帖の冒頭には、書名の由来となった「新治(万葉仮名で「珥比磨利」と表記)筑波を過ぎて幾夜か寝つる」の歌が刻される。これは古代神話に登場する日本武尊の作と伝わる歌である。なお当館所蔵本は、林述斎(1768~1841)の跋(寛政9年7月25日、1797)があり、後刷であることが分かる。ただし、大正3年(1914)複製本とは異なり、楊貴氏墓誌が収録されていない。
なお近年、もう一種の作品が発見され、旧来の帖にはない「宇治橋断碑」等が含まれるものが見つかった。椿椿山旧蔵品。