本作は、始皇37年(前210)に刻された《会稽刻石》を臨書した作品です。
《会稽刻石》は、秦の始皇帝(前259~前210)が中国全土を統一したのち、各地を巡った際に建てたものです。内容は、秦の徳をほめたたえる頌徳碑となっています。
始皇帝は、《会稽刻石》を含めた7つの頌徳碑を各地に建てました。これらは「始皇七刻石」と呼ばれます。その文は、秦の丞相・李斯(?~前208)によって創始されたと言われる「小篆」で刻されています。
伊立勲(1856~1942?)による臨書作品を見ると、安定感のある字形が、肥痩のない線で書きあげられています。
落款には「時年七十有三」と書かれており、数え年で73歳の作と言うことになります。一筆も揺らぐことなく、安定感のある字形と線質を保ちながら、最後まで一貫して書き上げている点に、作者の非凡な力量が表れている作品です。
作者の伊立勲は字を峻斎といい、中華民国初期の上海で活躍した書家です。清時代中期の書家・伊秉綬(1754~1815)の後裔にあたります。
作品名 | 篆書臨会稽刻石軸 |
ふりがな | てんしょりんかいけいこくせきじく |
作者 | 伊立勲 |
国名 | 中国 |
制作年 | 民国17年(1928) |
寸法 | 139.7×37.6cm |
目録番号 | 4A-3763 |
本作は、始皇37年(前210)に刻された《会稽刻石》を臨書した作品です。
《会稽刻石》は、秦の始皇帝(前259~前210)が中国全土を統一したのち、各地を巡った際に建てたものです。内容は、秦の徳をほめたたえる頌徳碑となっています。
始皇帝は、《会稽刻石》を含めた7つの頌徳碑を各地に建てました。これらは「始皇七刻石」と呼ばれます。その文は、秦の丞相・李斯(?~前208)によって創始されたと言われる「小篆」で刻されています。
伊立勲(1856~1942?)による臨書作品を見ると、安定感のある字形が、肥痩のない線で書きあげられています。
落款には「時年七十有三」と書かれており、数え年で73歳の作と言うことになります。一筆も揺らぐことなく、安定感のある字形と線質を保ちながら、最後まで一貫して書き上げている点に、作者の非凡な力量が表れている作品です。
作者の伊立勲は字を峻斎といい、中華民国初期の上海で活躍した書家です。清時代中期の書家・伊秉綬(1754~1815)の後裔にあたります。