本作は、王羲之(303?~365?)の尺牘(手紙)《節日帖》と《僕可帖》を一枚の紙に臨書したものです。
書きぶりを見てみると、震えるような線が用いられています。これは、作者である李瑞清が得意とした書法です。このような震えるような線を用いる書風は「鋸体」と呼ばれ、中華民国初期の上海で流行しました。
落款には、「漢時代の石碑に用いられた筆法をもって晋の作品を臨書し、変わった趣を出している(以漢碑筆橅晋別出奇趣)」と書かれています。つまり、王羲之の書を手本としながらも、王羲之よりもさらに古い書法を取り入れて臨書していると主張しているのです。
ここには、手本を再現しようという意図よりも、積極的に表現しようという、作家の意思が見て取れます。
作者の李瑞清は清末の官僚で、中華民国になってからは上海で書画家として活躍した人物です。
作品名 | 草書臨王羲之尺牘軸 |
ふりがな | そうしょりんおうぎしせきとくじく |
作者 | 李瑞清 |
国名 | 中国 |
制作年 | 清末~民国 |
寸法 | 148.4×39.3cm |
目録番号 | 4A-0251 |
釈文 | 廿日羲之頓首節日感歎 深念君増傷災雨君可也僕 可耳力数字王羲之頓首 以漢碑筆橅晋別出奇趣 |
本作は、王羲之(303?~365?)の尺牘(手紙)《節日帖》と《僕可帖》を一枚の紙に臨書したものです。
書きぶりを見てみると、震えるような線が用いられています。これは、作者である李瑞清が得意とした書法です。このような震えるような線を用いる書風は「鋸体」と呼ばれ、中華民国初期の上海で流行しました。
落款には、「漢時代の石碑に用いられた筆法をもって晋の作品を臨書し、変わった趣を出している(以漢碑筆橅晋別出奇趣)」と書かれています。つまり、王羲之の書を手本としながらも、王羲之よりもさらに古い書法を取り入れて臨書していると主張しているのです。
ここには、手本を再現しようという意図よりも、積極的に表現しようという、作家の意思が見て取れます。
作者の李瑞清は清末の官僚で、中華民国になってからは上海で書画家として活躍した人物です。