本作は、北魏(386~534)の《崔敬邕墓志銘》を臨書したものです。
《崔敬邕墓志銘》は、遼寧省・営州の官として善政を行った崔敬邕(461~517)の墓誌に刻されたものです。やや扁平ぎみな字形と、直線的な線で文字が刻されています。
李瑞清による臨書作品では、筆をわざと震わせて線を引いています。実は、《崔敬邕墓志銘》の拓本にはこれほど震えた線は認められません。
ジグザグに引かれた線による臨書は、長い年月を経て風化した、石碑の文字を想起させるものです。このような線を用いた書は「鋸体」と呼ばれ、中華民国初期の上海で流行しました。
作者の李瑞清は清末の官僚で、中華民国になってからは上海で書画家として活躍しました。
【参考文献】
根來孝明「李瑞清の書法-観峰館所蔵作品の分析を通して-」『観峰館紀要』第14号、公益財団法人日本習字教育財団観峰館、2019年
観峰館紀要 第14号
作品名 | 楷書臨崔敬邕墓誌銘軸 |
ふりがな | かいしょりんさいけいようぼしめいじく |
作者 | 李瑞清 |
国名 | 中国 |
制作年 | 民国4年(1915) |
寸法 | 135.1×65.9cm |
目録番号 | 4A-1611 |
釈文 | 綿哉遐冑帝炎之緒爰歴姫初 祖唯尚父邁周曰漢栄光継武 日徳伝輝儒賢代挙於穆叡考 誕質含霊秉仁岳峻動智淵明 育善以和奨幹以貞響発邽丘 翼起槐庭 魏志石中此為第一兼鄭文公孟教訓之妙 乙卯三月上巳后五日雨窓〓悰書此遣興 清道人時鬻書滬上 |
本作は、北魏(386~534)の《崔敬邕墓志銘》を臨書したものです。
《崔敬邕墓志銘》は、遼寧省・営州の官として善政を行った崔敬邕(461~517)の墓誌に刻されたものです。やや扁平ぎみな字形と、直線的な線で文字が刻されています。
李瑞清による臨書作品では、筆をわざと震わせて線を引いています。実は、《崔敬邕墓志銘》の拓本にはこれほど震えた線は認められません。
ジグザグに引かれた線による臨書は、長い年月を経て風化した、石碑の文字を想起させるものです。このような線を用いた書は「鋸体」と呼ばれ、中華民国初期の上海で流行しました。
作者の李瑞清は清末の官僚で、中華民国になってからは上海で書画家として活躍しました。
【参考文献】
根來孝明「李瑞清の書法-観峰館所蔵作品の分析を通して-」『観峰館紀要』第14号、公益財団法人日本習字教育財団観峰館、2019年
観峰館紀要 第14号