張廷済(1768~1848)は字を順安といい、叔未・眉寿老人などと号した。浙江嘉興の人。嘉慶3年(1798)の解元。金石・鑑定の学に精しく、多くの古器物をその居室である「清儀閣」に収蔵した。書は漢碑を学び、隷書を善くした。
本作は、西周の穆王期(前10世紀頃)のものとされる「檀山刻石」の旧拓本を臨書したもの。「吉日癸巳」の4文字は、穆王が犬戎を征討して勝利した日付を記念したものと伝えられる。十干十二支は現在、もっぱら年を記すのに用いられるが、本来は日付に用いられていた。
張廷済(1768~1848)は字を順安といい、叔未・眉寿老人などと号した。浙江嘉興の人。嘉慶3年(1798)の解元。金石・鑑定の学に精しく、多くの古器物をその居室である「清儀閣」に収蔵した。書は漢碑を学び、隷書を善くした。
本作は、西周の穆王期(前10世紀頃)のものとされる「檀山刻石」の旧拓本を臨書したもの。「吉日癸巳」の4文字は、穆王が犬戎を征討して勝利した日付を記念したものと伝えられる。十干十二支は現在、もっぱら年を記すのに用いられるが、本来は日付に用いられていた。
作品名 | 篆書臨檀山刻石軸 |
ふりがな | てんしょりんだんざんこくせきじく |
作者 | 張廷済 |
国名 | 中国 |
制作年 | 清時代中期 |
寸法 | 141.7×39.5cm |
目録番号 | 4A-2159 |
釈文 | 吉日癸巳 周穆王吉日癸巳四字在壇山宋郊尋而摸之県令劉荘取帰収 権郡事李中裕龕置庁壁政和五年取入内府靖康之変遂不可問 此政和以前榻本也宋景濂先生翻刻浦陽書院亡此古致矣 退谷逸叟孫承沢記 宋家有此政和以前原石拓本并有孫耳伯少宰手題墨蹟真宝墨也 孫題後尚有林信人翁覃溪孫淵如三題文煩不備諸写廷済 |
張廷済(1768~1848)は字を順安といい、叔未・眉寿老人などと号した。浙江嘉興の人。嘉慶3年(1798)の解元。金石・鑑定の学に精しく、多くの古器物をその居室である「清儀閣」に収蔵した。書は漢碑を学び、隷書を善くした。
本作は、西周の穆王期(前10世紀頃)のものとされる「檀山刻石」の旧拓本を臨書したもの。「吉日癸巳」の4文字は、穆王が犬戎を征討して勝利した日付を記念したものと伝えられる。十干十二支は現在、もっぱら年を記すのに用いられるが、本来は日付に用いられていた。