本作は、中国最古の刻石《石鼓文》を臨書したものです。
《石鼓文》は臼状の石に文字が刻されたもので、唐の貞元年間(785~805)に出土しました。書体は篆書体ですが、秦の始皇帝(前259~前210)が定めた「小篆」よりも古い、「大篆」と呼ばれるものです。
呉昌碩(1844~1927)による臨書作品を見ると、墨量の変化によって線にはカスレが生じています。ですが、墨が少なくなっても、筆圧を弱めることはありません。そのため、墨の多少にかかわらず、線からは力強さが感じられます。
作者の呉昌碩は清末民国期の書・画・篆刻家です。彼は《石鼓文》を生涯の手本として習い続けたと言われます。現存する書作品にも、《石鼓文》を臨書したものが多く含まれています。
晩年の臨書作品は、太くカスレを伴う線で、字形も右肩上がりに改変されたものが多いようです。本作は安定感のある字形が多く、晩年の臨書作品に比べ、手本とした《石鼓文》に忠実なように見えます。
【関連書籍】
呉昌碩 臨石鼓文
作品名 | 篆書臨石鼓文四屏 |
ふりがな | てんしょりんせっこぶんしへい |
作者 | 呉昌碩 |
国名 | 中国 |
制作年 | 清時代後期 光緒12年(1886) |
寸法 | 各169.0×45.2cm |
目録番号 | 4A-0020 |
釈文 | 吾車既工吾馬既同吾車既好吾馬既〓 君子員猟員猟員游麀鹿速々君子之求角弓々茲 以持吾敺其特〓々即吾即時麀鹿〓々 其来 大吾敺其樸其来〓々射其〓蜀汧殹沔丞々 皮淖淵〓鯉處之君子漁之澫又小魚其斿 〓々帛魚皪々其〓氐鮮黃帛其〓又〓又〓 其〓孔庶臠之〓々〓々〓々其魚隹可隹〓隹 鯉可以橐之 隹楊及柳田車孔安〓勒四介 既簡左驂旛々右驂〓々吾以啛于〓 吾之〓 宮車其写秀弓寺射麋豕孔庶麀鹿雉兔 其又夜其走大出各亜旲執而勿射庶〓々 君子迺楽鑾車〓欶弓孔碩彤矢四馬其 写六轡徒〓孔庶〓宣搏眚車〓〓徒如 章〓濕陰陽趍々馬射之〓々如虎獣鹿如多 賢〓禽吾允異霝雨流〓滂々盈済 子辰同転大人正臨石鼓文字是刻用筆処々虚却処々実近惟 虞椒楊濠叟儀澂呉譲老得其神髄丙戌華朝後十日雨窗安吉呉俊并記 |
本作は、中国最古の刻石《石鼓文》を臨書したものです。
《石鼓文》は臼状の石に文字が刻されたもので、唐の貞元年間(785~805)に出土しました。書体は篆書体ですが、秦の始皇帝(前259~前210)が定めた「小篆」よりも古い、「大篆」と呼ばれるものです。
呉昌碩(1844~1927)による臨書作品を見ると、墨量の変化によって線にはカスレが生じています。ですが、墨が少なくなっても、筆圧を弱めることはありません。そのため、墨の多少にかかわらず、線からは力強さが感じられます。
作者の呉昌碩は清末民国期の書・画・篆刻家です。彼は《石鼓文》を生涯の手本として習い続けたと言われます。現存する書作品にも、《石鼓文》を臨書したものが多く含まれています。
晩年の臨書作品は、太くカスレを伴う線で、字形も右肩上がりに改変されたものが多いようです。本作は安定感のある字形が多く、晩年の臨書作品に比べ、手本とした《石鼓文》に忠実なように見えます。
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