本作は、後漢時代の延熹8年(165)に建てられた石碑《西嶽華山廟碑》を臨書したものです。
《西嶽華山廟碑》は、漢時代に建てられた隷書碑として有名ですが、原石は存在しません。旧拓本が残っているため、それを通して元の姿を想像するのみとなります。
楊峴(1819~1896)による臨書作品を見ると、たっぷりと墨を含んだ線と、カスレを伴う線が紙面に表れています。
墨を多く含むときは、肥痩のある柔らかな線質となっており、墨が少なくなったカスレの部分では、筆先が紙に強い筆圧で食い込む、力強い線質となります。線質の変化が見ごたえのある作品です。
作者の楊峴は清時代後期の官僚だった人物です。字を見山といいました。後に退官して書を売って自給したと伝わります。漢時代の隷書碑を多く習い、独特の隷書作品を多く残しています。
作品名 | 隷書臨西嶽華山廟碑四屏 |
ふりがな | れいしょりんせいがくかざんびょうひしへい |
作者 | 楊峴 |
国名 | 中国 |
制作年 | 清時代後期 |
寸法 | 各177.5×47.5cm |
目録番号 | 4A-4300 |
釈文 | 周礼職方氏河南山鎮曰崋謂之 西嶽春秋伝曰山嶽則配天乾坤 定位山澤通氣雲行雨施既成萬 物易之義也祀典曰日月星辰所 昭卬也地理山川所生殖也功加 於民祀以報之礼記曰天子祭天 地及山川歳徧焉自三五迭興其 奉山川或在天子或在諸侯是以 唐虞疇咨四嶽五歳壹巡狩皆以 四時之中月各省其方親至其山 柴祭燔燎夏商則未聞所損益周 鑑於二代 漢華嶽碑 遅鴻残〓楊峴 |
本作は、後漢時代の延熹8年(165)に建てられた石碑《西嶽華山廟碑》を臨書したものです。
《西嶽華山廟碑》は、漢時代に建てられた隷書碑として有名ですが、原石は存在しません。旧拓本が残っているため、それを通して元の姿を想像するのみとなります。
楊峴(1819~1896)による臨書作品を見ると、たっぷりと墨を含んだ線と、カスレを伴う線が紙面に表れています。
墨を多く含むときは、肥痩のある柔らかな線質となっており、墨が少なくなったカスレの部分では、筆先が紙に強い筆圧で食い込む、力強い線質となります。線質の変化が見ごたえのある作品です。
作者の楊峴は清時代後期の官僚だった人物です。字を見山といいました。後に退官して書を売って自給したと伝わります。漢時代の隷書碑を多く習い、独特の隷書作品を多く残しています。