花鳥図

かちょうず
     

李苦禅(1899~1983)は名を英、字を勵公といい、号の苦禅で通る。働きながら北京の美術学校で西洋画を学び、また斉白石に国画を学ぶ。卒業後は教員となり、徐悲鴻に迎えられて芸術学校の教授となる。八大山人や呉昌碩などの先人に遡って独自の画法を追求したが、解放後、文化大革命で批判を受け、画業を禁止された。本作は、水鳥を勢いよく描くが、その表情には八大山人を髣髴とさせるものがある。

                                               
作品名花鳥図
ふりがなかちょうず
作者李苦禅
国名中国
制作年中華民国
寸法89.1×45.4cm
目録番号4b-0207
釈文癡写山禽〓呆 勵公

李苦禅(1899~1983)は名を英、字を勵公といい、号の苦禅で通る。働きながら北京の美術学校で西洋画を学び、また斉白石に国画を学ぶ。卒業後は教員となり、徐悲鴻に迎えられて芸術学校の教授となる。八大山人や呉昌碩などの先人に遡って独自の画法を追求したが、解放後、文化大革命で批判を受け、画業を禁止された。本作は、水鳥を勢いよく描くが、その表情には八大山人を髣髴とさせるものがある。

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