本作は、顔真卿(709~785)の楷行書の要素と北魏楷書の書風が融合した行書作品。各体の結体・起筆・筆線が渾然一体となっている。何紹基(1799~1873)壮年期の書は、顔法を基礎としつつ、官僚時代の上官であり、「南北書派論」の提唱者である阮元(1764~1849)の影響から、北碑にも傾倒したが、両者を截然と分けることはせず、むしろ融合することで彼独自の書風を模索した。何紹基の立場が「碑帖兼習」とされるゆえんである。署款の風格もあわせると、50代半ば頃の作品と考えられる。
作品名 | 行書七言対聯 |
ふりがな | ぎょうしょしちごんついれん |
作者 | 何紹基 |
国名 | 中国 |
制作年 | 清時代後期 咸豊年間(1850年代)頃 |
寸法 | 各123.0×30.5cm |
目録番号 | 4A-0373 |
釈文 | 雅堂五兄属 草媚荷塘資逸歩 雲生松壑引新詩 子貞何紹基 |
本作は、顔真卿(709~785)の楷行書の要素と北魏楷書の書風が融合した行書作品。各体の結体・起筆・筆線が渾然一体となっている。何紹基(1799~1873)壮年期の書は、顔法を基礎としつつ、官僚時代の上官であり、「南北書派論」の提唱者である阮元(1764~1849)の影響から、北碑にも傾倒したが、両者を截然と分けることはせず、むしろ融合することで彼独自の書風を模索した。何紹基の立場が「碑帖兼習」とされるゆえんである。署款の風格もあわせると、50代半ば頃の作品と考えられる。