劉毓瑶(1864~?)は、字を貢揚といい、天津揚柳青の人です。清未の金石書法家で、清の京師大学堂を卒業しました。民国時代の初めは国務院に勤めたこともあります。普段から金石碑版の書を愛好し、特に篆書に巧みでした。書、篆刻に於いて等しく盛名を得ました。斉白石(1863〜1957)とも交流し、また天津の収蔵家・徐世章(1858〜1936)との情誼は頗る厚いものがありました。
この作品は、彼の得意とする篆隷ではなく、最も多く学ばれる草書といっても過言ではない、孫過庭(648?〜703?)の「書譜」の臨書です。まったく嫌味のない書きぶりで、自刻と思われる印も極めて端正な様子です。(漢字部 資料紹介 2017年10月号)
作品名 | 草書臨孫過庭書譜軸 |
ふりがな | そうしょりんそんかていしょふじく |
作者 | 劉毓瑶 |
国名 | 中国 |
制作年 | 民国27年(1938) |
寸法 | 177.0×44.2cm |
目録番号 | 5A-0595 |
劉毓瑶(1864~?)は、字を貢揚といい、天津揚柳青の人です。清未の金石書法家で、清の京師大学堂を卒業しました。民国時代の初めは国務院に勤めたこともあります。普段から金石碑版の書を愛好し、特に篆書に巧みでした。書、篆刻に於いて等しく盛名を得ました。斉白石(1863〜1957)とも交流し、また天津の収蔵家・徐世章(1858〜1936)との情誼は頗る厚いものがありました。
この作品は、彼の得意とする篆隷ではなく、最も多く学ばれる草書といっても過言ではない、孫過庭(648?〜703?)の「書譜」の臨書です。まったく嫌味のない書きぶりで、自刻と思われる印も極めて端正な様子です。(漢字部 資料紹介 2017年10月号)