草書臨王羲之成都城池帖軸

そうしょりんおうぎしせいとじょうちじょうじく
     

本作は、王羲之(303?~361?)の手紙を集めて草書の手本とした作品《十七帖》に収められている《成都城池帖》を臨書したものです。

《十七帖》に収められている手紙は、王羲之が蜀(四川省)に住んでいた時、太守の周撫(292~365)という人物に宛てたと思われるものです。

これらの手紙を唐の太宗皇帝(598~649)が集め、草書の手本として作らせた複製が、現在まで伝わる《十七帖》のもととなっています。

宋伯魯の臨書を見ると、すべての文字が概ね同程度の大きさになっています。また、字と字を繋ぐ連綿線も、3行目5~6字目「令人」の1カ所のみで、ほとんど単体で書かれています。

いずれの字も自然な肥痩を伴う線で書かれており、作者が滑らかに筆を運ぶ様子が想起できるものです。

そのような筆遣いで書かれた文字は、字間/行間に一定の余白をとって整然と並んでおり、スッキリとした印象を鑑賞者に与えます。

ですが、《十七帖》の拓本を見ると、宋伯魯の臨書とは異なる部分が多く見られます。

例えば、1行目11~13字目にある「蜀中事」の3字は、《十七帖》では細い連綿線で繋がれています。また、《十七帖》には字の大小があり、字間が広い部分と狭い部分が混在しています。

宋伯魯の臨書は、《十七帖》の字を1字ずつ丁寧に切り離し、まるで楷書体を書く時のように、字間/行間に一定の余白を置いて文字を配置しています。

このように、文字の形や線質をよく観察すると、宋伯魯の臨書が決して手本の再現を目的としていないことが分かります。

本作に見られるまるで楷書が刻された石碑のような安定感は、宋伯魯独自の草書表現と言っても良いのではないでしょうか。

作者の宋伯魯は清末の官僚で、32歳で科挙に及第した秀才です。王羲之や趙孟頫(1254~1322)など、中国書法史における正統派の書法を学びました。絵画は清時代初期の王時敏(1592~1680)の画風を学び、瀟洒な山水画を描いています。

                                               
作品名草書臨王羲之成都城池帖軸
ふりがなそうしょりんおうぎしせいとじょうちじょうじく
作者宋伯魯
国名中国
制作年民国16年(1927)
寸法125.2×39.7cm
目録番号5A-0229
釈文往在都見諸葛顕曽具問蜀中事云 成都城池門屋楼観皆是秦時司 馬錯所修令人遠想概然 蘭卿姻講大正之属 七十四老人宋伯魯

本作は、王羲之(303?~361?)の手紙を集めて草書の手本とした作品《十七帖》に収められている《成都城池帖》を臨書したものです。

《十七帖》に収められている手紙は、王羲之が蜀(四川省)に住んでいた時、太守の周撫(292~365)という人物に宛てたと思われるものです。

これらの手紙を唐の太宗皇帝(598~649)が集め、草書の手本として作らせた複製が、現在まで伝わる《十七帖》のもととなっています。

宋伯魯の臨書を見ると、すべての文字が概ね同程度の大きさになっています。また、字と字を繋ぐ連綿線も、3行目5~6字目「令人」の1カ所のみで、ほとんど単体で書かれています。

いずれの字も自然な肥痩を伴う線で書かれており、作者が滑らかに筆を運ぶ様子が想起できるものです。

そのような筆遣いで書かれた文字は、字間/行間に一定の余白をとって整然と並んでおり、スッキリとした印象を鑑賞者に与えます。

ですが、《十七帖》の拓本を見ると、宋伯魯の臨書とは異なる部分が多く見られます。

例えば、1行目11~13字目にある「蜀中事」の3字は、《十七帖》では細い連綿線で繋がれています。また、《十七帖》には字の大小があり、字間が広い部分と狭い部分が混在しています。

宋伯魯の臨書は、《十七帖》の字を1字ずつ丁寧に切り離し、まるで楷書体を書く時のように、字間/行間に一定の余白を置いて文字を配置しています。

このように、文字の形や線質をよく観察すると、宋伯魯の臨書が決して手本の再現を目的としていないことが分かります。

本作に見られるまるで楷書が刻された石碑のような安定感は、宋伯魯独自の草書表現と言っても良いのではないでしょうか。

作者の宋伯魯は清末の官僚で、32歳で科挙に及第した秀才です。王羲之や趙孟頫(1254~1322)など、中国書法史における正統派の書法を学びました。絵画は清時代初期の王時敏(1592~1680)の画風を学び、瀟洒な山水画を描いています。

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