古玩文具の魅力⑪
今回は「蝋箋(ろうせん)」という紙を紹介します。安徽省・宣城を中心に生産された宣紙に加工を施したものの一種で、清時代中期・乾隆皇帝が特に好んだ華やかな意匠を凝らしたものが有名です。
清時代の後半(18~19世紀ころ)には特に対聯(ついれん)を揮毫する用紙として需要が高まり、様々な色と模様のものが制作されました。著名な書家がオリジナル発注したものなどは豪華なものがあります。中華民国時代にも作られ続けましたが、文化大革命(1966年以降の約10年間)の時期に、伝統的な技術が途絶えてしまい、その後本格的な復刻はされていないようです。
作り方は、まず厚手の宣紙に水干絵具で彩色します。水干絵具は日本画でも使うもので、天然の土や白土、胡粉(貝殻の内側を粉にしたもの)を染料で染めた絵具です。染めた宣紙に蜜蠟(ミツバチの巣から採れる蠟)を塗って被膜をつくり、象牙や玉でよく磨き上げ、更に上から金泥や銀泥で文様を描いたり、金箔を散らしたりして装飾します。すべて職人の手作りであるため一点モノの紙ができ上がります。
水干絵具は混色できるため様々な色が作れます。白や薄桃色は清浄で品位があり、黄蘗(きはだ)・黄色は高貴な印象があります。中には驚くほど濃い青や赤も稀にあります。地模様に亀甲紋や氷裂紋、瑞雲などを全面に描き込んだ上に、雲龍、松竹梅、蝙蝠(こうもり)、鳳凰、金魚、草花、根菜、果物、鳥などあらゆるおめでたい紋様が描き出されます。その組み合わせはまさに千差万別です。蜜蠟は墨をはじいてしまうため、揮毫の際には濃墨でないと定着しません。しかも掛軸にして巻き開きを繰り返すと、歳月と共に墨がひび割れて剥離してしまうこともあります。蠟箋自体に厚みがあるので折れやすく保存には注意が必要です。
おめでたい対句や含蓄のある詩を黒々と認めた蠟箋の対聯などを所持したら、さぞかし豊かな気分になるでしょう。(教師月報 2019年2月号)
作品名 | 蠟箋 |
ふりがな | ろうせん |
作者 | 不詳(作品:何紹基「行書八言対聯」) |
国名 | 中国 |
制作年 | 清時代後期 |
寸法 | 各171.5×36.0cm |
目録番号 | 4A-3824 |
古玩文具の魅力⑪
今回は「蝋箋(ろうせん)」という紙を紹介します。安徽省・宣城を中心に生産された宣紙に加工を施したものの一種で、清時代中期・乾隆皇帝が特に好んだ華やかな意匠を凝らしたものが有名です。
清時代の後半(18~19世紀ころ)には特に対聯(ついれん)を揮毫する用紙として需要が高まり、様々な色と模様のものが制作されました。著名な書家がオリジナル発注したものなどは豪華なものがあります。中華民国時代にも作られ続けましたが、文化大革命(1966年以降の約10年間)の時期に、伝統的な技術が途絶えてしまい、その後本格的な復刻はされていないようです。
作り方は、まず厚手の宣紙に水干絵具で彩色します。水干絵具は日本画でも使うもので、天然の土や白土、胡粉(貝殻の内側を粉にしたもの)を染料で染めた絵具です。染めた宣紙に蜜蠟(ミツバチの巣から採れる蠟)を塗って被膜をつくり、象牙や玉でよく磨き上げ、更に上から金泥や銀泥で文様を描いたり、金箔を散らしたりして装飾します。すべて職人の手作りであるため一点モノの紙ができ上がります。
水干絵具は混色できるため様々な色が作れます。白や薄桃色は清浄で品位があり、黄蘗(きはだ)・黄色は高貴な印象があります。中には驚くほど濃い青や赤も稀にあります。地模様に亀甲紋や氷裂紋、瑞雲などを全面に描き込んだ上に、雲龍、松竹梅、蝙蝠(こうもり)、鳳凰、金魚、草花、根菜、果物、鳥などあらゆるおめでたい紋様が描き出されます。その組み合わせはまさに千差万別です。蜜蠟は墨をはじいてしまうため、揮毫の際には濃墨でないと定着しません。しかも掛軸にして巻き開きを繰り返すと、歳月と共に墨がひび割れて剥離してしまうこともあります。蠟箋自体に厚みがあるので折れやすく保存には注意が必要です。
おめでたい対句や含蓄のある詩を黒々と認めた蠟箋の対聯などを所持したら、さぞかし豊かな気分になるでしょう。(教師月報 2019年2月号)