陳三立(1859~1937)は、清末民国初を代表する大詩人であり、字を伯厳といい、散原と号しました。幼くして博学で、官界に入ってからは康有為とともに変法運動を推進しましたが、失敗後は政治から離れて詩人として活動しました。子には陳衡恪(1876~1923)・陳寅恪(1890~1969 歴史家)がいます。その書は一種独特の書風で、世俗に迎合しない態度があらわれているとされています。本作は、自作の「雨霽歩尋松樹林還過山市詩」を揮毫したもので、高潔な人となりがうかがえます。
款記にあるように「雨霽(は)れて歩み松樹を尋ね、還るに山市を過(すぎ)る」と題する七言律詩一首を書して、蘇宇先生なる人物に贈った作品です。陳三立は詩人として著名でしたが、在世当時から書名も高く、その書風は独特のものでした。何を学んだかは定かでありませんが、六朝の碑や墓誌銘に学んだところが大きいと思われます。
江西義寧(修水)の出身で、光緒12年(1886)の進士。10年ほどで職を辞して在野で新政に取り組み「維新四君子」の一人に数えられました。その高潔な人柄と文学上の業績が作品の評価を高めているといえます。子の陳衡恪は呉昌碩(1844~1927)の弟子として書画篆刻に優れました。(漢字部 資料紹介 2011年11月号)
江西義寧(修水)の出身で、光緒12年(1886)の進士。10年ほどで職を辞して在野で新政に取り組み「維新四君子」の一人に数えられました。その高潔な人柄と文学上の業績が作品の評価を高めているといえます。子の陳衡恪は呉昌碩(1844~1927)の弟子として書画篆刻に優れました。(漢字部 資料紹介 2011年11月号)