康有為(1858~1927)は、清時代末に「戊戌の政変」を主導した政治家として有名です。光緒24年(1898・戊戌)康有為41歳の時に上奏した変法改革案が、時の軍機大臣・翁同龢(1830~1904)の勧めによって、光緒帝に採択されますが、急激な改革を嫌った西太后(1835~1908)のクーデターにより頓挫します。これにより、翁同龢も失脚し、康有為も以来16年に渡って亡命生活を余儀なくされます。
この作品に捺された「維新は百日、出亡は十六年、大地を三週し、四州を遊遍し、三十一国を経、六十万里を行く」と4行27字で刻された印は、彼の印の代表的なものです。(漢字部 資料紹介 2015年10月号)
作品名 | 行書五言対聯 |
ふりがな | ぎょうしょごごんついれん |
作者 | 康有為 |
国名 | 中国 |
制作年 | 清末~民国 |
寸法 | 各148.1×36.3cm |
目録番号 | 4A-3890 |
釈文 | 夜識金銀気 天開碧緑図 康有為 |
康有為(1858~1927)は、清時代末に「戊戌の政変」を主導した政治家として有名です。光緒24年(1898・戊戌)康有為41歳の時に上奏した変法改革案が、時の軍機大臣・翁同龢(1830~1904)の勧めによって、光緒帝に採択されますが、急激な改革を嫌った西太后(1835~1908)のクーデターにより頓挫します。これにより、翁同龢も失脚し、康有為も以来16年に渡って亡命生活を余儀なくされます。
この作品に捺された「維新は百日、出亡は十六年、大地を三週し、四州を遊遍し、三十一国を経、六十万里を行く」と4行27字で刻された印は、彼の印の代表的なものです。(漢字部 資料紹介 2015年10月号)