包世臣(1775~1855)、字は慎伯。号は倦遊外史、倦翁など。安徽省県の人。嘉慶13年(1808)の挙人。経世・軍事に対する識見は高く評価されたが、進士には及第せず、道光18年(1838)特別任用され、江西新喩知県となった。書法の研究にすぐれ、逆人平出の技法を案出し、趙之謙(1829~1884)ら後世の書人に与えた影響は計り知れない。「碑派の経典」と評される名著『芸舟雙楫』の著書として良く知られ、書は気力の充満が肝要であることを説いた。鄧石如(1743~1805)を顕彰し北魏を称揚した。呉譲之(1799~1870)生涯の師である。
本作品には「壬午」の干支が認められ、これは道光2年(1822)包世臣48歳の作。「芸舟双舟」述書・下によれば、この作品の2年前に彼は多くの北魏拓本を入手する。思うに包世臣書法の骨格がようやく形成されたころの作品であろう。
作品名 | 行書冊 |
ふりがな | ぎょうしょさつ |
作者 | 包世臣 |
国名 | 中国 |
制作年 | 清時代後期 道光2年(1822) |
寸法 | 22.1×14.3cm |
目録番号 | 書冊-A-010 |
包世臣(1775~1855)、字は慎伯。号は倦遊外史、倦翁など。安徽省県の人。嘉慶13年(1808)の挙人。経世・軍事に対する識見は高く評価されたが、進士には及第せず、道光18年(1838)特別任用され、江西新喩知県となった。書法の研究にすぐれ、逆人平出の技法を案出し、趙之謙(1829~1884)ら後世の書人に与えた影響は計り知れない。「碑派の経典」と評される名著『芸舟雙楫』の著書として良く知られ、書は気力の充満が肝要であることを説いた。鄧石如(1743~1805)を顕彰し北魏を称揚した。呉譲之(1799~1870)生涯の師である。
本作品には「壬午」の干支が認められ、これは道光2年(1822)包世臣48歳の作。「芸舟双舟」述書・下によれば、この作品の2年前に彼は多くの北魏拓本を入手する。思うに包世臣書法の骨格がようやく形成されたころの作品であろう。