行書千字文

ぎょうしょせんじもん
     

市河米庵(1779~1858)が、戸川安清(1787~1868)より譲り受けたもの。戸川安清の「玄黓摂堤格」すなわち壬寅の年、天保13年(1842)の跋に拠ると、長崎滞在時(長崎奉行時)に訳司(舌官某)が所蔵していたこの帖を購入し、拓本としたものという。同じく、市川米庵の跋に拠ると、戸川安清よりこの帖を見せられた際、直ぐに胡兆新(1746~?)の書風に似ていることに気付いたという。胡兆新(1746~?)とは、医者として長崎に滞在したことがあり、米庵とは親しい関係にあった。作者の李雲海(生卒年不詳)は、胡兆新と同じく医者であり、また書の先生であった。米庵の跋には、字を寧士とし、蘇州の人とする。

                                           
作品名行書千字文
ふりがなぎょうしょせんじもん
作者李雲海
国名日本
制作年原本:清時代/江戸時代後期 刻
寸法27.8×36.1cm
目録番号帖ー単ー001

市河米庵(1779~1858)が、戸川安清(1787~1868)より譲り受けたもの。戸川安清の「玄黓摂堤格」すなわち壬寅の年、天保13年(1842)の跋に拠ると、長崎滞在時(長崎奉行時)に訳司(舌官某)が所蔵していたこの帖を購入し、拓本としたものという。同じく、市川米庵の跋に拠ると、戸川安清よりこの帖を見せられた際、直ぐに胡兆新(1746~?)の書風に似ていることに気付いたという。胡兆新(1746~?)とは、医者として長崎に滞在したことがあり、米庵とは親しい関係にあった。作者の李雲海(生卒年不詳)は、胡兆新と同じく医者であり、また書の先生であった。米庵の跋には、字を寧士とし、蘇州の人とする。

KAMPO MUSEUM IN SHIGA ©︎ All Rights Reserved