日下部鳴鶴(1838~1922)は、名を東作、字を子晹という。彦根藩士田中家の次男として生まれ、日下部家の養子となる。明治十三年(1880)、楊守敬の来日により、巌谷一六、松田雪柯と共に漢魏・六朝隋唐の古碑版法帖を研究し書風を一変させた。本作は、鳴鶴62歳時の珍しい一扇10文字の大字作品。鳴鶴は、明治三十二年(1899)秋に北海道に客遊したことが知られており、まさにその時に揮毫されたものであろう。
作品名 | 行書清人詩屏風 |
ふりがな | ぎょうしょしんひとしびょうぶ |
作者 | 日下部鳴鶴 |
国名 | 日本 |
制作年 | 明治32年(1899) |
寸法 | ー |
目録番号 | 日-屏-005 |
釈文 | 塔下楼開躡 級登東風聊 憶昔遊曾春 深城郭渾如 画定裡鶯花 不属僧人影 漸移湖上柳 煙光又綠壁 間藤留題為 紀間蹤跡只 有看山詫最 能 北海客次鳴鶴書 岷濤萬里望 中收振策危 磯最上頭呉 楚青蒼分極 浦江山平遠 入新秋永嘉 南渡人皆盡 建業西風水 自流灑涙重 悲天塹険浴 鳥飛燕満汀 洲 己亥初秋鳴鶴書 |
日下部鳴鶴(1838~1922)は、名を東作、字を子晹という。彦根藩士田中家の次男として生まれ、日下部家の養子となる。明治十三年(1880)、楊守敬の来日により、巌谷一六、松田雪柯と共に漢魏・六朝隋唐の古碑版法帖を研究し書風を一変させた。本作は、鳴鶴62歳時の珍しい一扇10文字の大字作品。鳴鶴は、明治三十二年(1899)秋に北海道に客遊したことが知られており、まさにその時に揮毫されたものであろう。