呉譲之(1779~1870)は、原名を煕載、字を譲之といい、後年、字を名とした。江蘇魏徴の人。官途には就かず、終生、書・画・篆刻に専心した。その書は、各体に通じたが、とくに篆隷にすぐれ、また、篆刻で名を馳せた。本作は、「争坐位文稿」を団扇の画面に節臨したもの。碑学の書でしられた呉譲之も、顔法の書をものしていたことが知られる作例である。
作品名 | 行書臨顔真卿争坐位帖団扇 |
ふりがな | ぎょうしょりんがんしんけいそうざいじょうだんせん |
作者 | 呉譲之(呉煕載) |
国名 | 中国 |
制作年 | 清時代後期 |
寸法 | 22.2×24.5cm |
目録番号 | 4a-3562-1 |
釈文 | 竊聞軍容之為人清集 凡行深入佛海况乎収東 京有殄賊之業守陜城有 戴天之功朝野之人所京貴 仰豈獨有分於僕射哉加 以利衰塗割恬然於心固不似 一毀加怒一敬加喜尚何半席 之座咫尺之地能汨其志哉 魯郡公与定襄郡王書 月楼大兄先生属即正 譲之 |
呉譲之(1779~1870)は、原名を煕載、字を譲之といい、後年、字を名とした。江蘇魏徴の人。官途には就かず、終生、書・画・篆刻に専心した。その書は、各体に通じたが、とくに篆隷にすぐれ、また、篆刻で名を馳せた。本作は、「争坐位文稿」を団扇の画面に節臨したもの。碑学の書でしられた呉譲之も、顔法の書をものしていたことが知られる作例である。