本作は、王羲之(303?~361?)の字を集めて、唐時代の大和6年(832)に作られた石碑《新集金剛般若波羅蜜経》を臨書したものです。
王羲之の書は、唐の太宗(598〜649)が称揚したこともあり、唐時代以降は学ぶべき書の規範として重んじられました。そのため、王羲之の字を集めてテキストに沿って並べ直し、それを石碑に刻することも行われるようになっていきます。このような「集字碑」は、他にも《集王聖教序》や《興福寺断碑》などがよく知られています。
羅惇衍による臨書作品を見ると、線の肥痩を巧みに使い分けていることが分かります。太い線で書かれた字や、細い線で書かれた字が紙面に入り混じっています。また、一文字の中にも太い線と細い線が、一本の線にも太い部分と細い部分が生じています。
このような線の肥痩における多様さから、様々な字を集めて作られた「集字碑」を忠実に再現しようという作者の姿勢が窺えます。
作者の羅惇衍は清時代後期の官僚です。詩文/書法を巧みにしたと伝わります。
作品名 | 行書臨新集金剛般若波羅蜜経軸 |
ふりがな | ぎょうしょりんしんしゅうこんごうはんにゃはらみつきょうじく |
作者 | 羅惇衍 |
国名 | 中国 |
制作年 | 清時代後期 咸豊5年(1855) |
寸法 | 174.0×40.0cm |
目録番号 | 4A-2756 |
本作は、王羲之(303?~361?)の字を集めて、唐時代の大和6年(832)に作られた石碑《新集金剛般若波羅蜜経》を臨書したものです。
王羲之の書は、唐の太宗(598〜649)が称揚したこともあり、唐時代以降は学ぶべき書の規範として重んじられました。そのため、王羲之の字を集めてテキストに沿って並べ直し、それを石碑に刻することも行われるようになっていきます。このような「集字碑」は、他にも《集王聖教序》や《興福寺断碑》などがよく知られています。
羅惇衍による臨書作品を見ると、線の肥痩を巧みに使い分けていることが分かります。太い線で書かれた字や、細い線で書かれた字が紙面に入り混じっています。また、一文字の中にも太い線と細い線が、一本の線にも太い部分と細い部分が生じています。
このような線の肥痩における多様さから、様々な字を集めて作られた「集字碑」を忠実に再現しようという作者の姿勢が窺えます。
作者の羅惇衍は清時代後期の官僚です。詩文/書法を巧みにしたと伝わります。