行書臨米芾虹県詩巻軸

ぎょうしょりんべいふつこうけんしかんじく
     

本作は「北宋の四大家」の一人・米芾(1051~1107)の《虹県詩巻》を臨書したものです。

《虹県詩巻》は、米芾が虹県(安徽省泗県)を訪れて作った七言絶句3首を書いたものです。崇寧5年(1106)頃の筆と見られ、米芾最晩年の傑作とも言われます。米芾による大字の行書作品として有名で、1行に2~3字の大きな字を37行に渡って書いている作品です。

この《虹県詩巻》を、溥伒は縦109.1×横56.6㎝の縦長の紙に、8行に渡って臨書しています。

当然ながら、米芾の書いた原本《虹県詩巻》とは文字の配置が大きく変わっています。ですが、やや縦長の字形や、カスレを伴って勢いよく引かれた線は、原本《虹県詩巻》の特徴をよくとらえています。

横から縦へと形式を変更しつつも、米芾の伸びやかな行書法を使いこなしている臨書作品と言えるでしょう。

また、本作が書かれている紙には、石榴(ザクロ)や竹・石などが見られます。

石榴は多数の種を持つことから、子孫繁栄の象徴とされてきました。竹は冬でも枯れずに緑を保つことから生命力を象徴し、石も長い年月を経ても朽ち果てないものとして尊ばれます。

吉祥の願いが込められたモチーフの上に、米芾の奔放な書風が映える逸品です。

作者の溥伒は姓を愛新覚羅、字を雪齋と言いました。清王朝の皇帝・道光帝(1782~1850)の第五子である奕琮(1831~1889)の孫にあたります。

                                               
作品名行書臨米芾虹県詩巻軸
ふりがなぎょうしょりんべいふつこうけんしかんじく
作者愛新覚羅 溥伒
国名中国
制作年中華民国
寸法109.1×56.6cm
目録番号5A-0381
釈文虹県旧題云快霽一天清淑気 健帆千里碧榆風満船書画同 明月十日隋花窈窕中再題碧 榆緑柳旧游中華髪蒼顔 未退翁天使残年司筆研聖 知小学是家風長安又到人徒老 吾道何時定復東題柱扁舟真老矣 竟無事業奏膚公 雪斎

本作は「北宋の四大家」の一人・米芾(1051~1107)の《虹県詩巻》を臨書したものです。

《虹県詩巻》は、米芾が虹県(安徽省泗県)を訪れて作った七言絶句3首を書いたものです。崇寧5年(1106)頃の筆と見られ、米芾最晩年の傑作とも言われます。米芾による大字の行書作品として有名で、1行に2~3字の大きな字を37行に渡って書いている作品です。

この《虹県詩巻》を、溥伒は縦109.1×横56.6㎝の縦長の紙に、8行に渡って臨書しています。

当然ながら、米芾の書いた原本《虹県詩巻》とは文字の配置が大きく変わっています。ですが、やや縦長の字形や、カスレを伴って勢いよく引かれた線は、原本《虹県詩巻》の特徴をよくとらえています。

横から縦へと形式を変更しつつも、米芾の伸びやかな行書法を使いこなしている臨書作品と言えるでしょう。

また、本作が書かれている紙には、石榴(ザクロ)や竹・石などが見られます。

石榴は多数の種を持つことから、子孫繁栄の象徴とされてきました。竹は冬でも枯れずに緑を保つことから生命力を象徴し、石も長い年月を経ても朽ち果てないものとして尊ばれます。

吉祥の願いが込められたモチーフの上に、米芾の奔放な書風が映える逸品です。

作者の溥伒は姓を愛新覚羅、字を雪齋と言いました。清王朝の皇帝・道光帝(1782~1850)の第五子である奕琮(1831~1889)の孫にあたります。

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