呉永(1865~1936)は清時代後期に官僚として活躍した人物です。60歳をすぎて書名があったといいます。中華民国成立後も官職にいた彼ですが、30年にわたって董其昌(1555~1636)の書を学びました。
董其昌は明時代末の文人で、清の歴代皇帝がその書法を敬慕し、それ以降最も正統な書とされたため、その書を学ぶものが多くいました。呉永の書も董書の真髄を得たかは定かではありませんが、形に於いては董其昌に迫ろうとする真摯さが感じられます。(漢字部 資料紹介 2012年10月号)
呉永(1865~1936)は清時代後期に官僚として活躍した人物です。60歳をすぎて書名があったといいます。中華民国成立後も官職にいた彼ですが、30年にわたって董其昌(1555~1636)の書を学びました。
董其昌は明時代末の文人で、清の歴代皇帝がその書法を敬慕し、それ以降最も正統な書とされたため、その書を学ぶものが多くいました。呉永の書も董書の真髄を得たかは定かではありませんが、形に於いては董其昌に迫ろうとする真摯さが感じられます。(漢字部 資料紹介 2012年10月号)
作品名 | 行書臨董其昌軸 |
ふりがな | ぎょうしょりんとうきしょうじく |
作者 | 呉永 |
国名 | 中国 |
制作年 | 民国15年(1926) |
寸法 | 106.5×53.0cm |
目録番号 | 4A-4282 |
釈文 | 繍衣持斧擁旌旄戎馬間関気 益豪報国肯回王子馭酬知頻拭 呂虔刀皂嚢弾事風霜筆羽扇談 兵虎豹韬行矣捷書宜早奏漢 家麟閣五雲高 臨董思翁書 幼田先生清属 丙寅嘉平 槃盦呉永 |
呉永(1865~1936)は清時代後期に官僚として活躍した人物です。60歳をすぎて書名があったといいます。中華民国成立後も官職にいた彼ですが、30年にわたって董其昌(1555~1636)の書を学びました。
董其昌は明時代末の文人で、清の歴代皇帝がその書法を敬慕し、それ以降最も正統な書とされたため、その書を学ぶものが多くいました。呉永の書も董書の真髄を得たかは定かではありませんが、形に於いては董其昌に迫ろうとする真摯さが感じられます。(漢字部 資料紹介 2012年10月号)