本作は、王羲之(303?~361?)の字を集めて咸亨3年(672)に作られた石碑《集王聖教序》を臨書したものです。
《集王聖教序》は《集字聖教序》とも呼ばれ、原碑は現在、西安碑林にあります。集めた字をテキストにあわせて並べているため、《集王聖教序》には行書や草書が入り混じっています。「書聖」と呼ばれる王羲之の書を学ぶ手本として、現代でも用いられる作品です。
鄧散木による臨書作品を見ると、罫線の引かれた紙に、《集王聖教序》全文が臨書されています。肥痩のある柔らかな線から、筆者がリズミカルに筆を運ぶ様子が想像できます。
また、文字には自然な大小の変化があり、動きがありながらも、紙面全体がまとまっています。
よく観察すると、4行目3~4字目「将軍」や6行目5~6字目「時無」に、字と字を繋ぐ連綿線が見られます。ですが、手本である《集王聖教序》は集字碑であるため、このような連綿線はありません。
なぜこのような改変が行われているのでしょうか。このことを考えるために、王羲之をめぐる状況を簡単に確認しておきましょう。
「書聖」と称され、現代に至るまで学ぶべき手本となっている王羲之の書ですが、その真筆は現存しないと言われています。つまり、現代の我々が見ることのできる王羲之の書は、すべて複製です。
《集王聖教序》のような石碑の場合は、その拓本を通して、王羲之の書を学ぶほかありません。石に刻された字から字の「形」を学ぶことは出来ますが、拓本の点画には濃淡や潤渇がないため、原本がどのような「線」であったかは分かりません。
裏を返せば、王羲之の書を臨書する書家は、その線がどのようなものであったのかを想像する必要があると言えるでしょう。
鄧散木は、王羲之の書を、動きのある生き生きとした線によるものだと解釈して、このような臨書をしたのではないでしょうか。それゆえに、手本には存在しない連綿線が紙面に表れているように思われます。
手本にない線を引くことは、《集王聖教序》を「再現」しようとする観点からすれば失敗かもしれません。しかし、臨書する書家が手本を積極的に解釈した結果、生まれた「表現」と言うことも出来ます。
この連綿線は、《集王聖教序》を臨書することを通して生まれた鄧散木の表現と読むことが出来るのではないでしょうか。
作者の鄧散木は近代中国を代表する書家と評される人物です。「糞翁」や「一足」などの奇怪な号を用いました。
作品名 | 行書臨集王聖教序横披 |
ふりがな | ぎょうしょりんしゅうおうしょうぎょうじょおうひ |
作者 | 鄧散木 |
国名 | 中国 |
制作年 | 民国29年(1940) |
寸法 | 31.4×707.0cm |
目録番号 | 巻-書-013 |
本作は、王羲之(303?~361?)の字を集めて咸亨3年(672)に作られた石碑《集王聖教序》を臨書したものです。
《集王聖教序》は《集字聖教序》とも呼ばれ、原碑は現在、西安碑林にあります。集めた字をテキストにあわせて並べているため、《集王聖教序》には行書や草書が入り混じっています。「書聖」と呼ばれる王羲之の書を学ぶ手本として、現代でも用いられる作品です。
鄧散木による臨書作品を見ると、罫線の引かれた紙に、《集王聖教序》全文が臨書されています。肥痩のある柔らかな線から、筆者がリズミカルに筆を運ぶ様子が想像できます。
また、文字には自然な大小の変化があり、動きがありながらも、紙面全体がまとまっています。
よく観察すると、4行目3~4字目「将軍」や6行目5~6字目「時無」に、字と字を繋ぐ連綿線が見られます。ですが、手本である《集王聖教序》は集字碑であるため、このような連綿線はありません。
なぜこのような改変が行われているのでしょうか。このことを考えるために、王羲之をめぐる状況を簡単に確認しておきましょう。
「書聖」と称され、現代に至るまで学ぶべき手本となっている王羲之の書ですが、その真筆は現存しないと言われています。つまり、現代の我々が見ることのできる王羲之の書は、すべて複製です。
《集王聖教序》のような石碑の場合は、その拓本を通して、王羲之の書を学ぶほかありません。石に刻された字から字の「形」を学ぶことは出来ますが、拓本の点画には濃淡や潤渇がないため、原本がどのような「線」であったかは分かりません。
裏を返せば、王羲之の書を臨書する書家は、その線がどのようなものであったのかを想像する必要があると言えるでしょう。
鄧散木は、王羲之の書を、動きのある生き生きとした線によるものだと解釈して、このような臨書をしたのではないでしょうか。それゆえに、手本には存在しない連綿線が紙面に表れているように思われます。
手本にない線を引くことは、《集王聖教序》を「再現」しようとする観点からすれば失敗かもしれません。しかし、臨書する書家が手本を積極的に解釈した結果、生まれた「表現」と言うことも出来ます。
この連綿線は、《集王聖教序》を臨書することを通して生まれた鄧散木の表現と読むことが出来るのではないでしょうか。
作者の鄧散木は近代中国を代表する書家と評される人物です。「糞翁」や「一足」などの奇怪な号を用いました。