西施浣紗図

せいしかんしゃず
     

西施(生卒年不詳)は、紀元前五世紀頃、中国・春秋時代に生まれ、本名は施夷光という。出身地の苧羅村の西側に住んでいる施一族の女性であったため、西施と呼ばれている。

西施の生きた時代は、越王・勾践と呉王・夫差が覇権を争っていた。一度は滅亡寸前まで追い込まれた越王・勾践が、復讐のために呉王・夫差に差し出した美女の一人として、西施が選ばれた。

西施は、貧しい薪売りの娘だったが、ある時、谷川で衣服(紗)を、水で浣ぎ洗濯する姿を見染められたという。夫差は、西施を含め勾践に差し出された美女に夢中となり、呉は国の力を弱めて、やがて滅んだ。その後、その存在が国を乱すことを恐れた勾践の夫人によって、西施は殺されてしまうという悲しい運命をたどる。

西施は、「沈魚美人」とも呼ばれている。それは、西施が川で洗濯をしていたところ、美しさの余り、魚が見惚れてしまい、泳ぐのを忘れて沈んでしまうという逸話によるものである。一方で、大根足であったともいわれ、絵画作品では、その足は衣服などで隠すように描かれたという。

                                               
作品名西施浣紗図
ふりがなせいしかんしゃず
作者林雪巌
国名中国
制作年中華民国時代
寸法102.5×33.5cm
目録番号4g-0215
釈文倣新羅山人意 式如林玉画於畊研斎

西施(生卒年不詳)は、紀元前五世紀頃、中国・春秋時代に生まれ、本名は施夷光という。出身地の苧羅村の西側に住んでいる施一族の女性であったため、西施と呼ばれている。

西施の生きた時代は、越王・勾践と呉王・夫差が覇権を争っていた。一度は滅亡寸前まで追い込まれた越王・勾践が、復讐のために呉王・夫差に差し出した美女の一人として、西施が選ばれた。

西施は、貧しい薪売りの娘だったが、ある時、谷川で衣服(紗)を、水で浣ぎ洗濯する姿を見染められたという。夫差は、西施を含め勾践に差し出された美女に夢中となり、呉は国の力を弱めて、やがて滅んだ。その後、その存在が国を乱すことを恐れた勾践の夫人によって、西施は殺されてしまうという悲しい運命をたどる。

西施は、「沈魚美人」とも呼ばれている。それは、西施が川で洗濯をしていたところ、美しさの余り、魚が見惚れてしまい、泳ぐのを忘れて沈んでしまうという逸話によるものである。一方で、大根足であったともいわれ、絵画作品では、その足は衣服などで隠すように描かれたという。

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