篆書顔氏家訓音辞四屏

てんしょがんしかくんおんじしへい
     

胡澍(1825~1872)、字は荄甫また甘伯、石生と号しました。安徽績渓の人。小学に詳しく、また書画篆刻に巧みで、最も篆書に長じ、友人の趙之謙に「荄甫なお在らば、われ敢て篆書を作らず」と言わしめたほど篆書の名手とうたわれていました。早逝したためか作品の遺例はことのほか少いのです。

本作は収蔵当初から劣化がひどい状態で、破損のため3幅目上部が欠損していましたが、幸いにも修復を経て見やすい状態になっています。

「顔氏家訓」は6世紀、北斉の顔之推が自らの波乱の生涯を顧みて、時勢の影響を受けずに家を守るための教訓を、生活全般にわたって説いた20編にも及ぶ家訓書です。その18番目の、言語に関連する音辞編の一部を篆書で揮毫したものが本作です。

                                               
作品名篆書顔氏家訓音辞四屏
ふりがなてんしょがんしかくんおんじしへい
作者胡澍
国名中国
制作年清時代後期
寸法各120.0×28.8cm
目録番号4A-0877
釈文夫九州之人言語不同 生民已来固常然矣自 春秋標斉言之伝離騷 目楚詞之経此蓋其較 明之初也後有揚雄著 方言其言大備然皆攷 名物之同異不顕声読 之是非逮鄭玄注六経 高誘解呂覽淮南許慎 造説文劉熹製釈名始 有譬況仮借以証音字 耳而古語与今殊別其 間軽重清濁猶未可暁 加以內言外言急言徐 言読若之類益使人疑 子授学兄大人雅正 甘伯弟胡澍

胡澍(1825~1872)、字は荄甫また甘伯、石生と号しました。安徽績渓の人。小学に詳しく、また書画篆刻に巧みで、最も篆書に長じ、友人の趙之謙に「荄甫なお在らば、われ敢て篆書を作らず」と言わしめたほど篆書の名手とうたわれていました。早逝したためか作品の遺例はことのほか少いのです。

本作は収蔵当初から劣化がひどい状態で、破損のため3幅目上部が欠損していましたが、幸いにも修復を経て見やすい状態になっています。

「顔氏家訓」は6世紀、北斉の顔之推が自らの波乱の生涯を顧みて、時勢の影響を受けずに家を守るための教訓を、生活全般にわたって説いた20編にも及ぶ家訓書です。その18番目の、言語に関連する音辞編の一部を篆書で揮毫したものが本作です。

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