本作は、顔真卿(709~785)書法に加え北派の影響が垣間見える壮年期の楷書作品。各字の結体は、明らかに顔法のそれで、「壽」の、横画に比して縦画を太くし、横画の収筆に強く筆圧をかけて右斜め下の方向に押さえ込む姿は、「多宝塔碑」を髣髴とさせる。
一方で、重厚な太い線の合間に散見する、引き締まった鋭い線からは、北派の影響もうかがえる。何紹基は、50歳頃から唐の欧陽通(?~691)を習い始めたとされる。同期官僚の母の80歳を祝って揮毫されたもので、関係資料や書風から50代前半頃の作品と考えられる。
本作は、顔真卿(709~785)書法に加え北派の影響が垣間見える壮年期の楷書作品。各字の結体は、明らかに顔法のそれで、「壽」の、横画に比して縦画を太くし、横画の収筆に強く筆圧をかけて右斜め下の方向に押さえ込む姿は、「多宝塔碑」を髣髴とさせる。
一方で、重厚な太い線の合間に散見する、引き締まった鋭い線からは、北派の影響もうかがえる。何紹基は、50歳頃から唐の欧陽通(?~691)を習い始めたとされる。同期官僚の母の80歳を祝って揮毫されたもので、関係資料や書風から50代前半頃の作品と考えられる。
作品名 | 楷書八言対聯 |
ふりがな | かいしょはちごんついれん |
作者 | 何紹基 |
国名 | 中国 |
制作年 | 清時代後期 道光30年(1850)頃 |
寸法 | 各165.7×40.2cm |
目録番号 | 4A-0725 |
釈文 | 鳳誥頻膺高門福禄 鳩扶卻御寿母精神/右幅属書:恭祝 誥封夫人舒母羅太夫人八秩栄慶/左幅落款:侍生何紹基頓首拝 |
本作は、顔真卿(709~785)書法に加え北派の影響が垣間見える壮年期の楷書作品。各字の結体は、明らかに顔法のそれで、「壽」の、横画に比して縦画を太くし、横画の収筆に強く筆圧をかけて右斜め下の方向に押さえ込む姿は、「多宝塔碑」を髣髴とさせる。
一方で、重厚な太い線の合間に散見する、引き締まった鋭い線からは、北派の影響もうかがえる。何紹基は、50歳頃から唐の欧陽通(?~691)を習い始めたとされる。同期官僚の母の80歳を祝って揮毫されたもので、関係資料や書風から50代前半頃の作品と考えられる。