山水図

姚華(1876~1930)は字を重光といい、茫父と号した。詩文・詞曲をよくし、また碑版・古器の学にも精通し、書は各体、絵画は山水・花卉にすぐれるなど各方面に造詣が深かった。日本の法政大学に留学し、帰国後は民国政府の議員を […]

       

菊蝶図横披

龐左玉(1915~1969)は瑶草廬主と号し、浙江呉興の人。近代を代表する女流画家で、花卉・草虫を得意とした。 菊は、旧暦の九月頃に咲くことから、「九」が「久」に通じて長久を象徴し、その花びらを入れた酒は長寿の効用がある […]

       

山高水長図横披

袁松年(1895~1966)は字を鶴文という。はじめ西洋画を学んだが、康有為(1858~1927)らが西洋画の技法で国画を改造し中西融合を図る「国画合理化」を主張するとその影響を受け、国画をもっぱらとするようになる。その […]

       

草書臨王羲之成都城池・朱処仁帖軸

王羲之(303?~361?)が書いた手紙「成都城池帖」と「朱処仁帖」を、中華民国初期に活躍した書家・宋伯魯(1854~1932)が臨書した作品。自然な肥痩を伴う墨線を用いつつ、安定感のある字を形作っている。各字は概ね同程 […]

       

合作條魚睡蓮図

汪亜塵(1893~1983)は雲隠と号した。上海に出て絵画を学び、劉海粟(1896~1994)らと上海図画美術院を設立した。日本に留学経験を持ち、帰国後は美術教授などを歴任した。王伝燾(1903~1978)は字を季眉とい […]

       

墨蘭図

郭尚先(1785~1832)は字を元聞・蘭石といい、増黙菴と号しました。高級官僚であるとともに博学で鑑識に精しく、書は行書にすぐれ、絵画は蘭・竹を得意としました。 「四君子」の一つに数えられる蘭は、東洋ランの一種である中 […]

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