本作は、「寿」の大字の中に鮮やかな花鳥画を配した吉祥画である。特に鳥たちのほとんどはツガイで描かれているが、これは夫婦を意味する。作者の経歴等は不明であるが、その細緻な技法からすると、職業画師であった可能性が高い。
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孫雪泥(1888〜1965)は名を鴻、号を枕流といい、字の雪泥で通る。官吏登用試験である科挙が廃止されたことをきっかけに画業に従事すべく勉強をはじめ、上海で美術・活字印刷を手がけながら活動した。また、民国期から解放後にか […]
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「玉堂」とは皇帝の秘書や歴史の編纂を司る役所「翰林院」の別名です。中国の王朝では「科挙」と呼ばれる試験の成績で役人を採用していました。その科挙の合格者の中でも成績優秀な者が最初に配属されるのがこの翰林院で、立身出世の登竜 […]
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陶冷月(1895〜1985)は名を鏞、字を詠韶、宏斎、柯夢道人などと号した。幼くして伝統の国画を学ぶとともに、米国人から西洋画法も吸収した。その西洋画法を国画に折衷した作風は「新中国画」と称され、民国時代は芸術系大学の教 […]
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銭厓(1896~1967)は字を叔厓、痩鉄と号した。若くして篆刻を呉昌碩に学び、また書画にもたくみで、特に絵画では山水・花卉を得意とした。上海の芸術界で積極的に活躍し、日本の橋本関雪とも交流があり、京都ではその白沙山荘に […]