この作品は、右下方に顔を向け視線を落とし、右手の艶っぽい返し方、線の細い体の表現など、清時代の美人画に表現される「病態美」の特徴をよく表している。作品名の「紅豆」は、日本では唐小豆として知られ、12月頃に花が咲き、春から初夏にかけて赤い実をつける。女性の左手に持つ団扇は、紅豆が実をつける初夏を表しているのだろう。また「相思」は、この「紅豆」の別名(相思子・そうそうし)で、愛する夫の帰りを待ち続けたまま、失意の内に亡くなった妻の流した血の涙が「紅豆」となったという伝承から、その別名がある。描かれた女性は、夫のことを思い続けて亡くなった妻で、その可憐な姿が人びとの涙を誘う。
作者の改允恭(生卒年不詳)は、清時代後期を代表する美人画家である改琦(1774~1829)の息子で、父親の画風をよく引き継いだとされるが、作品があまり残っていない。この作品も最近になって発見されたもので、観峰コレクションの中にあって希少な美人画である。
作品名 | 紅豆相思図 |
ふりがな | こうずそうしず |
作者 | 改允恭 |
国名 | 中国 |
制作年 | 清時代後期 |
寸法 | 98.0×31.5cm |
目録番号 | 4b-0710 |
この作品は、右下方に顔を向け視線を落とし、右手の艶っぽい返し方、線の細い体の表現など、清時代の美人画に表現される「病態美」の特徴をよく表している。作品名の「紅豆」は、日本では唐小豆として知られ、12月頃に花が咲き、春から初夏にかけて赤い実をつける。女性の左手に持つ団扇は、紅豆が実をつける初夏を表しているのだろう。また「相思」は、この「紅豆」の別名(相思子・そうそうし)で、愛する夫の帰りを待ち続けたまま、失意の内に亡くなった妻の流した血の涙が「紅豆」となったという伝承から、その別名がある。描かれた女性は、夫のことを思い続けて亡くなった妻で、その可憐な姿が人びとの涙を誘う。
作者の改允恭(生卒年不詳)は、清時代後期を代表する美人画家である改琦(1774~1829)の息子で、父親の画風をよく引き継いだとされるが、作品があまり残っていない。この作品も最近になって発見されたもので、観峰コレクションの中にあって希少な美人画である。