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【展覧会概要】
この展覧会では、民国期の揚州で活躍した画家である程遠岑の作品を取り上げます。まず、彼の略歴を紹介します。
程遠岑(ていえんしん 1855~1941)は本名を碒(ぎん)といい、遠岑は字(あざな)です。祖父の代より揚州に移り住みました。彼は幼い頃から絵画を愛好し、特に山水画を得意としました。そのため、清末から民国初の揚州画壇では、「専工山水」の画家として第一に挙げられる存在でした。
程遠岑が活躍した揚州は、風光明媚な土地であり、経済都市でもありました。そのため、豊かな文化が花開き、書画家などの芸術家が活躍しました。太平天国の乱(1850~1864)ののち、経済・文化の中心は上海に移りましたが、揚州にはなお多くの作家が居留・活躍していました。程遠岑は、そのような作家の一人です。
この時代の揚州作家の作風は、おもに新興の商人層を対象にしていたことから、堅苦しい伝統にとらわれることなく、自由でわかりやすく、親しみの持てるものです。そして程遠岑の描く山水画も、どちらかといえばポップな雰囲気が感じられます。
まだまだ知名度の低い作家ですが、この機会にその魅力を知っていただければ幸いです。
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【第1章】
山水画
◎新緑の表現―青緑山水―
青緑山水とは、群青や緑青を用いて彩色する山水画です。伝統的な青緑山水は、色彩が濃厚なものが多いですが、程遠岑の描く青緑山水は、色彩が淡く爽やかで、今風にいえばパステル調に近いものです。また山々の構図も、一見険しいですが人を拒絶する威圧感はなく、穏やかさを感じさせます。
「渓山訪友図」
中華民国15年(1926)72歳 作
135.4×72.7cm
[釈文]
渓山訪友
丙寅冬奉
梅卿仁兄大人法家指正
遠岑弟程碒写
於芬陀利室之南窓
[解説]
「渓山訪友」とは、友人が俗世間から隔たった山野の家を訪問してくるという意味で、文人の理想的隠遁生活を描いたものです。
近景・中景・遠景の間を縫うように江水が流れ、画面中央右端に架かる橋の上の人物が友を訪問する人物です。
程遠岑の山の描写は、アール状の稜線を積み重ね、各稜線の頂上にアクセントとして「点苔」という点を細かく打つところに特徴があり、その表情は、山の高さの割には穏やかです。山の間に見え隠れする粗末な家々からは、ユートピア的雰囲気が感じられます。
「梅花書屋図」
中華民国10年(1921)67歳 作
141.5×25.0㎝
[釈文]
梅花書屋
辛酉冬日写奉
薇閣先生方家誨正
遠岑程碒
[解説]
梅の花に囲まれた書斎を「梅花書屋」といい、文人画の画題に好んで選ばれます。本作では、淡い青緑の山肌と、薄いピンクの花の色が美しく調和し、暖かさを感じさせてくれます。山々の描写は、程遠岑の特徴を備えつつ、いびつに傾斜しているのは、ここがこの世のものではない理想郷だからでしょうか。画面中央には、舟上から梅を愛でる文人も描かれています。
「杜甫詩意山水図」
制作年未詳
67.6×34.0㎝
[釈文]
竹深留客処荷浄納涼時
写為翰屏仁兄世大人正
遠岑弟程碒
[解説]
本作は、唐・杜甫(712~770)の詩「陪諸貴公子丈八溝携妓納涼晩際遇雨二首其一」の一節によったもので、画面手前の、竹と荷(ハス)に囲まれた家に客を招いて、涼をとりつつ清談する様子を描いています。
遠景にやや高い山が見える以外は、中景・近景ともになだらかな地形で、身近な風情となっています。水と新緑に囲まれた世界は、程遠岑が活躍した揚州の風景から影響を受けたものでしょう。
「揚柳岸図」
制作年未詳
61.0×33.2㎝
[釈文]
揚柳岸暁風残月
遠岑画於片石斎
[解説]
本作は、宋・柳永(987?~1053?)の「雨霖鈴」の一節によったもので、明け方の柳の岸辺を描いています。ここにはもはや山は見えず、土手の土色と霞の白色の間に、柳の葉の緑が引き立っています。そして遠景の先には、暁の残月が朧に顔をのぞかせています。揚州は、柳の名所としても知られており、やはり当地の作家ならではの画題といえましょう。柳の描写方法も、程遠岑独特のものです。
「寿山福海図」
中華民国27年(1938)84歳 作
133.2×62.3㎝
[釈文]
寿山福海
戊寅夏六月小暑後八日写祝耿老伯母劉太夫人九十大寿
遠岑姪程碒
[解説]
「寿山福海」は、長寿が山のごとく、幸福が海のごとくもたらされることを願った吉祥画題です。たなびく雲にそそり立つ山や、波立つ海は、ここが人間界から隔絶された仙境であることを暗示しています。
山の各所にはえる常緑の松、建物の庭にいるつがいの鶴、橋を渡る二人の人物が持つ桃と霊芝などは長寿を、画面中央右寄りに飛ぶ五匹の蝙蝠(コウモリ)は幸福を象徴するアイテムです。
「梅花高士図扇面」
中華民国17年(1928)74歳 作
19.3×54.2㎝
[釈文]
梅花高士図
戊辰夏六月為翰棻仁兄大人雅正
弟程碒
[解説]
「高士(こうし)」とは、雅を愛する知識人である文人のことです。彼らは、俗世間を避けて山野に隠遁することを夢見ました。また、梅は雪を衝いて真っ先に花開き、香りを放つことから、文人の象徴とされました。本作は梅と、同じく文人を象徴する竹に囲まれた理想的な生活環境を描いたもので、友人が舟に乗って尋ねて来ようとしています。扇面画は、手に収まる芸術品として、贈り物に重宝されました。
◎枯淡の表現―淡彩による山水―
程遠岑の青緑山水は、その爽やかさから新緑の表現に適し、晩春から夏の風景によく用いられました。それに対し、薄い赤みを帯びた代赭(たいしゃ)を用いた淡彩の山水は、秋から冬、そして初春の風景を描いています。基本的な描法は共通していながら、色彩の変化でもの悲しさや寒々しさを表現する程遠岑のテクニックをご覧ください。
「採芝図」
中華民国17年(1928)74歳 作
137.1×67.3㎝
[釈文]
採芝図
戊辰冬日写為樵麓仁兄大人寿並乞方家教之
遠岑弟程碒
[解説]
「採芝」とは、霊芝を採ることです。霊芝は、古来長寿の神薬とされ、「採芝」は仙人の隠遁生活を象徴しています。画面中央よりやや下の中景に、山中から霊芝を採取して帰ってこようとする童子が描かれています。その帰りを待つ文人が、近景の草廬に座っています。山肌には淡い代赭の赤色が施され、季節が秋に近づいていることを知らせてくれます。ただ、同じく長寿を象徴する松や柏は、常緑を保っています。
「渓山論古図」
中華民国20年(1931)77歳 作
72.3×39.5㎝
[釈文]
渓山論古
遠岑程碒写時在辛未秋七月
[解説]
本作は、山間の家で清談に興ずる二人の文人を描いています。山肌の赤みがかった色彩や、右手前近景の黄色く色づいた葉の表現から、秋の情景が感じられます。画面下方の水上の家と人物の構図は、夏の情景を描いた「杜甫詩意山水図」と共通していますが、地面や樹木の色彩表現を変えることで、感じられる季節感が全く異なります。
「渓山霽雪図」
中華民国16年(1927)73歳 作
136.0×33.5㎝
[釈文]
渓山霽雪
丁卯冬日奉潤正仁兄大人指正
弟程碒
[解説]
「霽雪(せいせつ)」とは、雪の後の晴れ間のことです。本作では、背景に薄く淡墨を刷き、顔料を施さない地の紙色と、水墨の稜線とのコントラストで積雪の白さを表現しています。山中に見える楼閣の壁と、近景の橋の赤みも、白さを引き立たせるアクセントになっています。葉が散って枝のみとなった木々も、寒々さ感じさせます。
「江雪図」
中華民国9年(1920)66歳 作
29.8×55.4㎝
[釈文]
孤舟蓑笠翁独釣寒江雪
庚申秋日奉暁梧仁兄大人指正
遠岑
[解説]
本作は、唐・柳宗元(773~819)の詩「江雪」の一節によったものです。背景に薄く刷かれた淡墨と、岩山の所どころに施された代赭の赤みが、雪の白さを引き立たせます。
画面右下の舟上で、蓑笠を着けた漁夫が一人釣り糸を垂らす姿も、清澄な寒気を感じさせます。
「梅花高士図」
制作年未詳
72.0×33.3㎝
[釈文]
梅花高士
写奉公振仁兄先生指正
遠岑弟程碒
[解説]
本作は、「梅花高士図扇面」と同じモチーフです。ただ、「扇面」の情景が春を迎えた新緑の頃であるのに対し、本作では、赤みを帯びた山肌にうっすらと緑が混じった初春の風情となっています。これから本格的な春の訪れを予感させる作品です。
◎伝統の表現―水墨山水―
青緑や淡彩による山水表現を得意とした程遠岑ですが、時には水墨のみを用いる山水も描いています。そこには、先人によって編み出された中国伝統の山水技法が受け継がれており、
程遠岑がそれらの技法をしっかりと学んでいたことがうかがわれます。青緑や淡彩とはテイストの異なる水墨山水にも注目していただきたいと思います。
「雲峰飛瀑図」
制作年未詳
131.8×33.0㎝
[釈文]
雲峰飛瀑
擬高米両家法
程碒画於寄斎
[解説]
「雲峰飛瀑」とは、雲間に聳える山と、その間に落ちる滝のことです。本作は、水墨のみを用いて描かれますが、その用い方が独特で、尖るように聳える山の山肌は、水気の多い墨を使って横長の点を何重にも重ねるように描かれています。これは宋の米芾(べいふつ 1051~1107)が考案した「米点皴」と呼ばれるもので、伝統的画法に属するものです。
「秦観詞意山水図」
制作年未詳
81.0×36.4㎝
[釈文]
斜陽外寒鴉数点流水繞孤村
写為介眉仁兄大人法家正
遠岑弟程
[解説]
本作は、宋・秦観(1049~1100)の詞「満庭芳」の一節によったもので、夕暮れの寒空に烏が点々と飛ぶ水に囲まれた山家を、水墨のみで描いたものです。本作の構図は、近景に大きく樹木を配し、中景に広がる江水を挟んで遠景に山々を連ねる「平遠」と呼ばれるもので、元の倪瓚(げいさん)が得意としました。また、もの悲しい雰囲気から「蕭散体(しょうさんたい)」とも呼ばれています。
◎実在の描写―実景山水―
これまでご紹介した山水は、現実の風景を描いたものではなく、文人たちが理想とした架空の空間を描いた、いわばフィクションです。ただ、観峰館所蔵の程遠岑作品のなかには、実在の風景を描いた作品もあり、彼の山水画の技法が写生にも生かされていたことがうかがえます。
「猗香亭図」
中華民国14年(1925)71歳 作
63.5×111.0㎝
[釈文]
乙丑夏四月遇伯閑仁兄之盧甫及台階即来香気知室有芝蘭庭森玉樹園林幽僻花木多奇有亭名猗香固属幽人之室亦為善人之居主人知愛蘭有同癖故属為写図以紀一時之興趣云爾
程碒画並識
[解説]
本作は、揚州商業界の重鎮であった楊鴻慶(ようこうけい 1882~1956)の住居の庭園を描いたものです。
池や巨石、それに各種の木々を配し、庭園内の亭に置かれた蘭の盆栽の香気が園外に漂ったことから、「猗香亭(いこうてい)」の名称が付けられたといいます。なお「楊氏小築」跡は揚州市風箱巷に現存し、揚州市級文物保護単位に指定されているということです。
【第2章】
花卉画
観峰館所蔵の程遠岑作品には、山水のほかにも植物を描いた花卉画(かきが)が含まれています。具体的には、桃と梅を画題としたもので、前者が3点、後者が2点です。画題は異なっていますが、桃の爽やかな色彩などには、程遠岑の感性が現れています。
「西池桃熟図」
中華民国22年(1933)79歳 作
132.5×34.5㎝
[釈文]
西池桃熟
癸酉夏日
遠岑程碒写
「桃図」
中華民国26年(1937)83歳 作
76.6×37.5㎝
[釈文]
雲白仁兄大人教正
弟程碒写時年八十三
「桃図」
中華民国14年(1925)70歳頃 作
170.0×37.0㎝
[釈文]
獧盦先生大人法家教政
遠岑程碒写
[解説]
3点の桃の絵は、いずれも構図や幹・枝・葉・実の描き方に共通した特徴があります。幹には、山水で見られたようなアクセントとして打たれる「点苔」が施され、葉は、輪郭線を用いず、顔料の滲みの濃淡で描く「没骨(もっこつ)」の技法が用いられています。そして実は、熟れを表現した赤味が鮮やかです。桃は、不老長寿の象徴としての吉祥画題です。
「墨梅図」
清時代後期
光緒19年(1893)39歳 作
132.3×21.7㎝
[釈文]
無端昨夜東風起催作江南第一花
写為子漁仁兄大人指正
遠岑弟程碒時癸巳春日
「墨梅図」
制作年未詳
132.1×20.3㎝
[釈文]
孤高常結歳寒盟消遣風清与月明鉄石心腸氷玉品生来不畏雪霜侵
写奉暁梧仁兄大人法家指正
遠岑弟程碒
[解説]
2点の梅は、いずれも水墨のみを用いて描かれたもので、その構図や描法は、古典的な墨梅図のそれです。山水図や桃図とは雰囲気が異なることから、絵画の基礎を学んでいた比較的若い頃の作品かも知れません。梅は、文人の象徴として好んで画題に選ばれました。
「文房清供図」
制作年未詳
136.2㎝×22.2㎝
[釈文]
翰屏世兄大人雅正
遠岑程碒写
「蒲石延年図」
制作年未詳
18.4×27.1㎝
[釈文]
蒲石延年
遠岑
[解説]
「文房清供」とは、文人の趣味嗜好の対象である、書斎を飾る文具や古器物を指します。また、「蒲石延年」とは、盆景と盆石の組み合わせで、特に石は朽ちることがないため、長寿を寓意し、「延年」に通じます。文人の趣味である室内装飾にも、吉祥の願いが込められていました。
さいごに
程遠岑の作品の数々はいかがだったでしょうか?みなさんが思い描いている中国絵画のイメージとは少々違っていたかもしれません。
中国近代絵画には、さまざまな個性を持つ作家の作品があります。観峰館ではこれからもそれらをご紹介していきます。
▼観峰館が収蔵する程遠岑の作品については、下記のページをご覧ください。通信販売(要送料)にて購入できます。
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