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Web展覧会「中国近代の美人画 女性たちの物語」

     

開催日: 2022年3月1日 - 2022年4月15日カテゴリー:

【展覧会概要】

中国・日本で人気の高い美人画。近代中国絵画に描かれた女性たちが紡ぐ12のストーリーをご紹介します。

中国・清時代の美人画の特徴は、「病態美(びょうたいび)」という言葉で表現されます。当時の美人画を描いた画家たちは、健康的な女性像ではなく、細い首、撫で肩、細い腰つき、おちょぼ口といった、まるで病気を患っているかのような女性の持つ美を追求しました。清朝後期における美人画を得意とする画家として、改琦(1774~1829)、費丹旭(1801~1850)が並び称されます。

この展覧会で取り上げる作品は、上記両名の活動以後、上海や揚州で人気を博した画家たちの美人画ばかりです。これだけの美人画を所蔵するのは、観峰館が国内屈指といっても過言ではないでしょう。それぞれの絵画のモチーフとなったエピソードとともにご覧ください。

※本ページの画像をクリックすると拡大してご覧いただけます。

【作品一覧】

1.改允恭「紅豆相思図」清時代後期作

2.陳崇光「馮媛当熊図」清時代後期作

3.徐寄萍「団扇美人図」中華民国33年(1944)作

4.楊鎔「木蘭従軍図」中華民国時代作

5.包畹生「王昭君図」中華民国時代作

6.李昌燦「月季美人図」中華民国時代作

7.呂鳳子「一葉落図」中華民国時代作

8.徐楨「京兆画眉図」清時代後期 光緒5年(1879)作

9.沈心海「蹁若驚鴻図斗方」清時代後期~中華民国時代作

10.「麻姑図」清時代後期~中華民国時代作

11.林雪巌「西施浣紗図」中華民国時代作

12.郁榘「蔡琰図」中華民国11年(1922)作

 

【同時開催】

Web展覧会「顔真卿の法帖」

 

【次回の展覧会】

春季企画展「隠元隆琦350年遠諱 黄檗インパクト」

顔真卿の書に学ぶ-館蔵法帖名品選-/顔真卿の遺伝子-顔法を受け継いだ人びと-

 

【作品】
1.改允恭「紅豆相思図」清時代後期作

改允恭「紅豆相思図」

まずご紹介する作品は、右下方に顔を向け視線を落とし、右手の艶(つや)っぽい返し方、線の細い体の表現など、「病態美」の特徴をよく表しています。

作品名の「紅豆」は、日本では唐小豆として知られ、12月頃に花が咲き、春から初夏にかけて赤い実をつけます。女性の左手に持つ団扇は、紅豆が実をつける初夏を表わしているのでしょう。

また「相思」は、この「紅豆」の別名である相思子のことで、愛する夫の帰りを待ち続けたものの、失意の内に亡くなった妻の流した血の涙が「紅豆」となったという伝承から、その別名があります。描かれた女性は、夫のことを思い続けて亡くなった妻の姿を描いており、その可憐な姿が人びとの涙を誘います。

可憐な女性が描かれています

画家の改允恭(かい いんきょう)(生卒年不詳)は、清時代後期を代表する美人画家である改琦(1774~1829)の息子で、お父さんの画風をよく引き継いでいたとされますが、作品があまり残っていません。この作品も最近になって発見されたもので、観峰館のコレクションの中にあって希少な美人画としてご注目ください。

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2.陳崇光「馮媛当熊図」清時代後期作

陳崇光「馮媛当熊図」

中国・清時代の美人画は、「病態美」と呼ばれる表現が好まれましたが、次にご紹介する絵画は、たくましい女性を描いた物語です。

この作品は、襲い掛かろうとする熊に対し、立ち向かおうとする女性を描いています。この物語は、作品左上の賛に詳しく書かれています。

賛文

それに拠ると、物語は前漢の元帝(前74~前33)の時代、元帝が後宮の女性たちと共に、檻の中で猛獣が戦うショーを見物していました。

突然、檻の中から熊が飛び出し、元帝たちが居る宮殿によじ登ろうとします。後宮の女性たちは恐怖のあまり逃げ出しますが、唯一、馮媛だけが熊の前に立ちはだかりました。

幸い、熊は護衛の役人たちに取り押さえられたのですが、元帝は馮媛に対し、なぜ恐れず立ち向かったのかと尋ねます。すると彼女は、猛獣は人を襲えば立ち止まるもので、陛下に近付こうとしたため、私が身を差し出したのです、と答えました。

それを聞いた元帝は馮媛を寵愛し、後に「昭儀(しょうぎ)」という称号を得て皇帝の后として確たる地位を築きました。

馮媛が熊の前に立ちはだかります

この物語は、主君を愛する心、危機に立ち向かう勇気を象徴したものとして、とても有名なものです。そのよく知られた物語に対し、描かれた馮媛の表情は凛々しく、振り上げた右手からは、振り絞られた勇気と力強さが伝わります。

立ち上がって襲い掛かろうとする熊と、それを制止しようと走りかかる役人たちの表現から、緊迫した場面描写が巧みに表現されており、画家の技術の高さが伝わります。

画家の陳崇光(ちん すうこう)(1839~1896)は、江蘇省揚州の出身で、崇光という字のほか、若木(じゃくぼく)という字号も用いています。出身地である揚州で活躍し人気のあった画家で、この作品から分かるように、高い技量を備えています。

なお、賛の末尾に小さく「従」と書いているのは、一行目「後宮」「皆」の間に本来入るべき文字ですが、書き忘れたために末尾に付け足したものです。このような「失敗」さえも気にならない優れた作品です。

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3.徐寄萍「団扇美人図」中華民国33年(1944)作

徐寄萍「団扇美人図」

団扇を持つ美しい女性を描いた、初夏の季節にぴったりの作品です。

この作品は、これまでご紹介した中国・清時代の美人画とは趣が異なっています。特徴的なのは、目の周りに施されたお化粧や口紅のあざやかな色遣いで、右上方に視線を向ける力強い眼の表現、透明感のある肌艶は、まるで写真のような錯覚を覚えさせます。

賛文

女性のモデルについては、はっきりとは分かりません。しかしながら、賛の2句目にある「漫(みだり)に団扇を将て共に徘徊す」は、王昌齢(700?~755?)「長信秋詞」にある句を取ったもので、この詩のモデルである班婕妤(はん しょうよ)(生卒年不詳)を描いたものと考えられます。

班婕妤は中国・前漢の成帝の寵愛を受けましたが、やがて他の女性の恨みを買ったため、自ら長信宮という宮殿に退きました。

王昌齢の詩は、孤独な秋の夜を過ごし失恋の悲しみを嘆く班婕妤について詠んだものですが、この絵では、画家が「たまたま見つけた」春の花を団扇に描いています。

班婕妤は、悲恋を象徴する女性として多く描かれますが、秋ではなく春の花を描くことで、少しでもその悲しみを和らげてあげようとしたのでしょうか。もしかすると、女性の顔に施されたお化粧は、彼女の涙を隠すためのものかもしれません。

お化粧は彼女の涙を隠すため…?

画家の徐寄萍(じょ きへい)(1919~1989)は、出身地である上海において清時代末期に流行した、広告宣伝を目的とした版画の名手として知られた人物です。中華人民共和国解放前後において、女性をモデルとした広告画のほか、国内の政治動向に沿った広告画などを描きました。
後に版画家として大成する画家の若かりし頃の作品で、若干25歳でありながら、卓越した技術を持っていたことがうかがえます。

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4.楊鎔「木蘭従軍図」中華民国時代作

楊鎔「木蘭従軍図」

続いては、映画にもなったムーラン(木蘭)という女性を描いた作品です。

「木蘭従軍」とは、文字通り、木蘭が軍に従って戦地に赴くという意味です。作品には、松の樹の立つ住居の前に居る3名の人物が描かれています。人物の後方には、川が流れています。人物のうち、右側の長槍を持ち武装した馬上の女性が木蘭です。木蘭のほか、馬の手綱を引く強面の男性(戦友)、男性の左側にいる白髪の杖をつく男性が木蘭の父親でしょうか、心配そうに木蘭を見つめています。

馬に乗る木蘭と、それを見つめる男性

物語は、木蘭という少女が、老いて病気がちの父親に代わり、男装して従軍し、異民族との戦いで活躍し、許されて帰郷するまで、誰も女性とは気付かなかったというものです。これは、中国・北宋の『楽府詩集』に収められる、「木蘭辞」などの漢詩が元となっています。

それに拠るとこの絵の続きにあたる内容は、木蘭が従軍のため郷里を離れ、少しずつ父の呼ぶ声が聞こえなくなり、ただ黄河の流水の音だけが聞こえる遠方の地へとたどりついた寂しさや、十年の歳月で多くの戦果を挙げ、自宅へ戻って後、鎧を脱ぎ、髪を梳いて化粧をして門から出た際に、同行した戦友さえもはじめて木蘭が女性であることに気付き仰天した、というものです。

絵の中にある木蘭たちの後方に流れる川は黄河を描いており、この後おとずれる父との辛い別れを表現しています。

画家の楊鎔(よう よう)(生卒年不詳)は、字を禹之といい、上海出身の画家です。経歴が不明な画家ですが、いくつかの作品が残っていることから、画家としてそれなりの地位にあった人でしょう。

人物の表情や衣服の描き方が緻密で、武装した木蘭もとても魅力的に描かれていますが、彼女が化粧をして着飾った姿も見てみたかったというのが正直なところです。

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5.包畹生「王昭君図」中華民国時代作

包畹生「王昭君図」

中国でも絶世の美女と称された、王昭君(おう しょうくん)(生卒年不詳)を描いた作品をご紹介します。

ここに描かれた王昭君は、整った顔立ちに俯く視線、しなやかに曲げられた体など、賛にある「冰心玉貌(氷のように透明な心、美しい顔)」、「綽約(しなやかで優しい姿)」の言葉に形容される姿で描かれています。

特徴的なのは、赤い衣を頭から纏っていることと、動物の毛皮で作られた衣服を身に着けていることです。これは、賛に「朔風凛冽」とあるように、彼女が北風の吹く寒さ厳しい場所にいることを示しています。

王昭君とは、中国・前漢時代の元帝(前74~前33)の時代に後宮に仕えた女性です。北方の異民族・匈奴との外交政策において、漢の女性を嫁がせるにあたり、美女として有名であった王昭君が選ばれました。

寒さ厳しい北方の異なる民族の男性に嫁いだことから、悲劇の女性と称されます。匈奴に送る女性を選ぶ際に用いた肖像画を描かせるときに、絵師に賄賂を渡さなかったために醜く描かれ、結果、異民族に差し出されたという話や、遠い異国の地での寂しさを馬上で琵琶を弾くことで紛らわそうとしたという話など、悲劇性を高めるための挿話が多く作られました。

賛にも、醜く肖像画が描かれたことや、元帝を恨みながら琵琶を弾いていたことが記されています。

賛文

作家の包畹生(ほう わんせい)(生卒年不詳)は、字を徳芬といい、丹徒女史(丹徒は、出身地の江蘇省鎮江の古称)などという号を用いた女性画家です。詳しい経歴は分かっていませんが、美人画や草花を画題とした作品を多く描いています。

彼女が描いた王昭君は、「名を千古(「永遠」の意)に留む」ほどの美しさはもちろん、寂しげに俯く姿に物語の悲劇性が表されています、その表現力は、この物語に対する女性ならではの視点に拠るものかもしれません。

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6.李昌燦「月季美人図」中華民国時代

李昌燦「月季美人図」

この作品は、本紙の中に円を描き、円の中にのみ絵を描いています。円の中には建物があり、その庭には多くの女性がいます。女性たちは左右に分かれ、琵琶や笛、太鼓などの楽器を奏でています。

画面中央では、二人の女性が舞う姿が見えます。一見すると、高貴な家の庭で女性たちが舞や音楽を楽しむ様子を描いているようですが、次の画像にある、画面左下の樹木の根元に注目してください。茶色の毛並みの兎が杵を持ち、臼で何かをしています。

杵を持つ兎がいます

この兎の存在により、この円は、月を表していることが分かります。日本では月の兎といえば餅を搗くイメージですが、中国では、兎が不老不死の薬を手杵で粉にしているとされます。手杵を搗(つ)く兎のモチーフは、元々、中国から朝鮮半島を経て日本に伝わったもので、その伝来の過程で何時の間にか「月の兎=餅を搗く」のイメージが定着したのでしょう(望月=餅搗きの語呂合わせという俗説もあります)。

女性の持つ楽器には、現代では余り知られていないものも多くあります。日本の琴によく似た筝、最も古い歴史を持つ笙、ハープのような形の箜篌(くご)の他、珍しいものとして、2枚の板材を紐で結んだ拍板(はくばん)があります。拍板はアコーディオンのような形をしているものもありますが、この作品には伝統的な形のものが描かれています。

一番左の女性が持っているのが「拍板」です

画家の李昌燦(り しょうさん)(生卒年不詳)は、文杰が字号で、他の観峰コレクションの作品から、①江蘇省揚州にいたこと、②戊辰の年(1928年?)に六十代であったこと、などが分かりますが、それ以外の経歴は謎に包まれています。とはいえ、本紙に円を描いて月に見立てた大胆な描写、目立たないように描かれた兎で月を表現する手法など、見るべき点の多い作品といえるでしょう。

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7.呂鳳子「一葉落図」中華民国時代作

呂鳳子「一葉落図」

この作品は、画家の呂鳳子(ろ ほうし)(1885~1959)が、五代後唐を築いた荘宗こと李存勗(885~926)の詩「一葉落」を元に描いた作品です。

その詩の内容は、「一葉が落ち、朱の簾(すだれ)をあげ、この時の眺めはとてもさびしい。煌びやかな楼閣に差し込む月影もさびしく、西からの風は羅幕(らまく=帳(とばり)のこと)に吹きつける、吹きつけるのである。思い出されるのは、過ぎた日のこと」です。

詩題の「一葉落」は、前漢の思想書『淮南子』の「1葉の落つるのを見て、歳の将(まさ)に暮れなんとするを知る」の句より取られたものです。

『淮南子』の句は、「1葉落ちて天下の秋を知る」の慣用句として日本でも有名で、わずかな前触れから、将来起こる物事を推測する、という意味です。これを元に李存勗の詩の内容を考えると、もう戻らない過ぎた日々への後悔、を表しているのでしょう。

李存勗(り そんきょく)(885~926)は後唐を築いた名将でしたが、最後は非業の死を遂げています。その人生と准(なぞら)えた時、この詩は、彼の斜陽(しゃよう)の時代を表しているように思えます。また、この絵画のように、詩の主人公を女性に置き換えてみると、かつての恋人を慕い、失ったことへの後悔、を表現しているとも考えられます。

墨一色で描かれた窓辺の女性の姿と、落葉と口元に僅かに付けられた紅のコントラストが、そのもの悲しさを一層際立たせています。

女性のもの悲しさが描かれています

なお、この作品の詩塘部分には、原田観峰(1911~1995)が書を書いています。その内容は、「忍と和は、一家を整え治めることの上策であり、勤と倹は、新しく事業を始めることの優れた計画である」というものです。

原田観峰の書が付されています

観峰もまた、この作品を見て、今後の事業や自らの人生への戒めとしたのかもしれません。

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8.徐楨「京兆画眉図」清時代後期 光緒5年(1879)作

徐楨「京兆画眉図」

仲睦まじい夫婦をテーマにした作品です。

作品名の「京兆画眉(けいちょうがび)」とは、京兆尹(けいちょういん)という官職にあった夫が、妻の眉を描いたことによる故事です。その由来は、中国の『漢書』中にある張敞(ちょう しょう)(生卒年不詳)の伝によります。

張敞は、前漢時代の優秀な人物で、その都・長安周辺の県を管轄する京兆尹に任命されます。それまでの京兆尹は有能な人物がおらず、長安の市には盗賊が横行していました。

張敞が任に着くと、盗賊を捕え、時にはその事情を聞いて罪を免じるなどの善政を行いました。しかし、そのことを良く思わない人物によって、彼が威儀を正さず妻の眉を描いているという噂を立てられ、訴えられてしまいます。

皇帝が直接そのことを問うと、張敞は「夫婦の寝室においては、眉を描くこと以上に、親しいやりとりがあって、当然のことでしょう(眉を描くことは、他愛もないことです)。」と、答えました。皇帝はそれ以上張敞を責めませんでしたが、その後は高い地位に就けることはありませんでした。

張敞の発言の真意は、夫婦の関係性において、男女の立場の差などなく、また寝室というプライベートな空間に立ち入ってその姿に噂を立てる者こそ威儀を正していない、ことを暗に伝えた点にありました。

眉を描きます

いつしか京兆画眉の故事は、恋人や夫婦の仲睦まじさを象徴する言葉として知られるようになります。また、画眉は眉を描くことから転じて美人という意味がありますが、夫が自ら眉を描くほど妻を大切に思っているからこそ妻は美しくいられる、と解釈してもいいでしょう。

作品からも、夫が眉を描く様子を微笑ましく鏡越しに眺める妻の様子が美しく描かれています。

画家の徐楨(1841~1915)は江蘇省呉江の出身で、花鳥画を得意とした画家です。しかし、この作品のような故事を題材とした人物画も多く描いています。それは、その絵画を見て共感する人が多いからでしょう…現代の私たちにも共感できる作品です。

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9.沈心海「蹁若驚鴻図斗方」清時代後期~中華民国時代作

沈心海「蹁若驚鴻図斗方」

絵画を見る時、描かれた題材を知ることは重要なポイントです。ここでは、ひとりの女性が描かれた作品をご紹介します。

この作品は、たなびく雲の上に立つ女性を描いたものです。衣服の描写から、風が強く吹く状況にあっても、この女性は凛とした姿で描かれています。

賛には「蹁若驚鴻(へんじゃくきょうこう)」とあります。これは、「蹁は驚鴻のごとし」と読み、「ひらひらと飛ぶ様子は、驚いて飛び立つ鳳のようである」という意味です。また驚鴻は、美人の体の軽くしなやかな姿という意味もあります。

賛文

「蹁若驚鴻」は、『三国志』でお馴染みの、魏の曹操(155~220)の三男・曹植(192~232)作「洛神賦」の一句です。中国の詩文集である『文選』に載る原文には、「其形也、翩若驚鴻、婉若游龍」とあります。

その内容は、「その形や、蹁は驚鴻のごとく、婉は游龍のごとく(美しさは、空をゆく龍のようである)」です。これは、曹植が魏の都・洛陽から帰還の際に、立ち寄った黄河に注ぐ川の一つ、洛水に伝わる伝説上の女神のことを形容したものです。

以上のことから、この作品は、洛神賦を題材として、そこに書かれた洛水の女仙(洛嬪)を描いたものと分かります。

女仙を描いています

なお「洛神賦」には、その創作経緯における伝説があります。『文選』の註に拠ると、洛神賦のモデルは、曹植の兄・曹丕(187~226)の妻であった甄夫人(183~221)のことで、曹植はこの女性に恋焦がれていたものの成就しませんでした。その後、甄夫人が亡くなり、それを知った曹植が洛水の畔で眠っていた時、夢に甄夫人が現れます。曹植は悲しさの余り、この詩を詠みました。

この悲恋は必ずしも史実と見なされていませんが、そのような背景を知った後にこの絵画を見ると、単なる美人を描いたものではない、と気付かされるでしょう。故事画を得意とした、沈心海(1855~1941)の面目躍如といったところです。

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10.「麻姑図」清時代後期~中華民国時代作

「麻姑図」

「麻姑(まこ)」という名の仙女を描いた作品をご紹介します。

作品の女性は、髪を上に束ね、腰に瓢箪をぶら下げ、爪が付いた杖をついています。傍らには籐で編まれた壷があり、壷には花々や霊芝が添えられています。女性の爪は、とても長く描かれています。

麻姑は、中国の書物『神仙伝』に記される仙人です。この書物には、麻姑が18歳の美しい女性で、髪を頭頂部で結い、錦の美しい衣を身に着け、目は輝きを放ち、爪は鳥の爪のように長い、とあります。

長い爪が描かれています

『神仙伝』には他にも、麻姑の爪が長いので、その爪で背中を掻くと気持ちが良いだろう、と考える男の話があります。これに基づいた「麻姑掻痒」という故事は、麻姑の長い爪が痒い所にまで手が届くことから、転じて、物事がうまくいく、という意味です。爪が付いた杖もまた、麻姑の爪を象徴したものです。ここから、「麻姑の手」が「孫の手」となった俗説も生まれました。

また麻姑は、不老不死の仙女として有名な西王母の誕生祝いに美酒を贈ったという伝説から、長寿の象徴でもありました。作中の麻姑の側にある壷は、贈り物の酒壷を示しており、腰にぶらさげた瓢箪も、酒の象徴として描かれています。

物事が順調に進みかつ長生きできる、人びとの希望を詰め込んだ麻姑の絵画は、その神秘性も加わって、多くの画家に描かれました。

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11.林雪巌「西施浣紗図」中華民国時代作

林雪巌「西施浣紗図」

「5.包畹生「王昭君図」」では、中国四大美女の王昭君(生卒年不詳)を描いた絵画作品をご紹介しました。今月号で取り上げるのは、四名の美女の中でも不動の位置を占める西施を題材とした絵画です。

西施(せい し)(生卒年不詳)は、紀元前5世紀頃、中国・春秋時代に生まれ、本名は施夷光といいます。出身地の苧羅(ちょら)村の西側に住んでいる施一族の女性であったため、西施と呼ばれています。

西施の生きた時代は、越王・勾践(?~前465)と呉王・夫差(?~前473)が覇権を争っていました。一度は滅亡寸前まで追い込まれた越王・勾践が、復讐のために呉王・夫差に差し出した美女の一人として、西施が選ばれました。

西施は、貧しい薪売りの娘でしたが、ある時、谷川で衣服(紗)を、水で浣(すす)ぎ洗濯する姿を見染められたといいます。夫差は、西施を含め勾践に差し出された美女に夢中となり、呉は国の力を弱めて、やがて滅びました。その後、その存在が国を乱すことを恐れた勾践の夫人によって、西施は殺されてしまうという悲しい運命をたどります。

川で洗濯をしています

西施は、「沈魚美人」とも呼ばれています。それは、西施が川で洗濯をしていたところ、美しさの余り、魚が見惚れてしまい、泳ぐのを忘れて沈んでしまうという逸話によるものです。一方で、大根足であったともいわれ、絵画作品では、その足は衣服などで隠すように描かれました。

この作品の画家である林雪巌(1912~1965)が描いた西施は、川辺で紗と思われる白い織物を洗濯しています。作品によっては、川の水の中に泳ぐ魚を描くものもありますが、この作品では描かれていません。魚たちが既に沈んでしまったと考えると、彼女の美しさが一層際立つことになるでしょう。

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12.郁榘「蔡琰図」中華民国11年(1922)作

郁榘「蔡琰図」

この展覧会の最後を飾るのは、中国で作られた女性の伝記集である『列女伝』に載る、蔡琰(177?~249?)を描いた絵画です。

作品には、幕舎の中で籐の置物(暖炉?)に肘をかけて女性が腰掛けており、その傍には子どもがいます。外には、笛を吹く二人の男性が描かれていますが、いずれも、中国の一般的な衣服ではなく、異民族の装束を着ています。また、その衣服の重厚さから、寒い地域であることも想像できます。

肘をつく女性と笛を吹く男性たち

賛に目を向けると、この女性は、蔡邑(132~192)の娘で、董祀(生卒年不詳)の妻となった蔡琰であることが分かります。彼女は博学多才で弁が立ち、音楽に精通していました。後漢・興平年間(194~195)の動乱の中で北方の異民族である匈奴に連れ去られ、左賢王の妻となりました。匈奴に住んだ12年の間に、2人の子どもを授かりました。

賛文※文中に「董紀」とあるのは「董祀」の誤記です。

一方、父・蔡邑は魏の曹操(155~220)と仲が良く、曹操が蔡邑に跡継ぎがないことを心配し、匈奴に金璧(黄金と璧玉)を送って蔡琰を連れ戻しました。後に蔡琰は、同郷の董祀に嫁ぎました。

また、賛に続く逸話としては、蔡琰が動乱に振り回された挙句、最後には、匈奴に2人の子どもを残して祖国に連れ戻されるという悲劇もありました。

その悲劇を乗り越えた蔡琰は、新たに夫となった董祀のこともよく助け、董祀が処刑される危機にも機転を利かせて、曹操を言い負かし、夫を救いました。このことから、蔡琰は賢女として後世にまで伝わっています。

多くの絵画作品は、物語の一場面を切り取って描くため、その場面の前後にある物語を知ることで、作品の魅力が一層高まります。作品中の蔡琰の表情が悲しく見えるのは、彼女の歩んだ人生を知れば、納得できるでしょう。

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【おわりに】

この展覧会では、12作品に描かれた12名の女性たちのストーリーをご紹介しました。美人画は、描かれた女性に注目があつまりますが、作品の背景にある物語を読み解くことで、その魅力が一層高まります。観峰館では引き続き、展覧会やホームページを通して、所蔵品の魅力を伝えていきます!ご期待ください!!

(※この展覧会は、日本習字かな部2021年4月号~2022年3月号手本掲載の「観峰館資料紹介」を、Web展覧会用に再構成したものです。)

 

▼観峰館が収蔵する美人画を掲載しております(本展の図録ではありません)

清朝の美人画~第6回特別企画展展示品図録~

 

【同時開催】

Web展覧会「顔真卿の法帖」

 

【次回の展覧会】

春季企画展「隠元隆琦350年遠諱 黄檗インパクト」

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