封泥「高章宦丞」

文字の残欠部分と、すでに発見されている封泥の官職名とを勘案すれば、高章宦丞であろう。史書に記載なし。高章宦者の封泥も発見されていることから、高章宦者丞の略称か。

       

封泥「右厩丞印」

出土例あり。右厩は史書に記載がないが、目録番号97-0050-7(下記 参考作品)の中厩から類推して、太僕の属官であった可能性がある。 参考作品 封泥「中厩丞印」

       

封泥「高章宦丞」

文字の残欠部分と、すでに発見されている封泥の官職名とを勘案すれば、高章宦丞であろう。史書に記載なし。高章宦者の封泥も発見されていることから、高章宦者丞の略称か。

       

封泥「咸陽丞印」

出土例あり。咸陽は秦の国都。『史記』始皇本紀に「孝公十三年、始都咸陽」とある。『漢書』百官公卿表に、県令・長の下に丞が置かれたとする。

       

封泥「宦者丞印」

出土例あり。『漢書』百官公卿表では、秦官に少府の属官として宦者があり、令(長官)・丞(次官)が置かれたとある。また、『史記』廉頗藺相如列伝に「藺相如者、趙人也、為趙宦者令繆賢舎人」と見える。

       

封泥「都船丞印」

出土例あり。『漢書』百官公卿表に、秦官では中尉の属官に都船があり、三丞が置かれたとある。また如淳は「都船獄令、治水官也」と注す。

       

封泥「泰匠丞印」

文字の残欠部分と、すでに発見されている封泥の官職名とを勘案すれば、泰匠丞印であろう。秦代、「泰」は「太」・「大」と通じた。『漢書』百官公卿表に「将作少府、秦官、掌治宮室、左右中候。景帝中六年更名将作大匠」と見えるが、ある […]

       

封泥「郡左邸印」

出土例あり。『漢書』百官公卿表では、秦官に典客の属官として郡邸があり、長(長官)・丞(次官)が置かれたとある。顔師古は「主諸郡之邸在京師者也」と注する。ただし、郡邸が左右に分かれていたかについては記載なし。

       

封泥「内官丞印」

文字の残欠部分と、すでに発見されている封泥の官職名とを勘案すれば、内官丞印であろうか。出土例あり。『漢書』百官公卿表は、宗正の属官に内官長・丞があったが、当初は少府の属官であったとする。顔師古は『漢書』律暦志の度の項に拠 […]

KAMPO MUSEUM IN SHIGA ©︎ All Rights Reserved