高邕(1850~1921)字は邕之、苦李・聾公・赤岸山民と号した。杭州(浙江省)の人。上海に寓した。書法に長じ、唐の李邕(北海)を深く慕い、李盦 とも号した。晩年は鄭燮や李瑞清を学び、結体は「瘞鶴銘」を範とした。宣統元年 […]
丁仁(1879~1949)は原名を仁友、字を子修、また輔之といい、鶴盧と号した。浙江杭州の人。画は梅花を善くし、書は甲骨文・金石文を精写し、篆刻 にも優れた。光緒30年(1904)には王禔らとともに杭州に西泠印社を設立し […]
何紹基(1799~1873)、字は子貞、東洲または袁叟と号した。湖南道州の人。道光16年(1836)の進士。官は四川学政に至る。書は家学である顔真卿(709~785)を宗とし、金石碑版を広く学んだ。 本作は、何紹基最盛期 […]
猫は長寿を表すものとして描かれることが多い。観峰館が所蔵する銭慧安作品のうち、猫が画題に取りあげられているのは2作品あるが、両者を見比べると、猫の表情や体の表現からは、晩年作に見られる線描の固さがみられる。
「富貴耄耋」は長寿を願う画題。猫は耄、蝶は耋に発音が通じ、『礼記』には耄は70歳、耋は80歳を意味するとされる。牡丹は富貴の象徴であり、伝統的な画題である。絵を送った「廉夫」は陸恢(りくかい)のことか。陸恢(1850~1 […]
乞巧奠は陰暦7月7日の行事。女子が手芸・裁縫などの上達を祈ったもの。もと中国の行事で、日本でも奈良時代、宮中の節会としてとり入れられ、在来の棚機女(たなばたつめ)の伝説や祓えの行事と結びつき、民間にも普及して現在の七夕行 […]
款記は陸游の詩「禽言」四首の二を引用する。陸游(1125~1210)は南宋の文人。放翁と号す。山陰(浙江省)の人。官吏としては不遇であったが、南宋第一の詩人として蘇軾と並び称された。絹本の織り目を利用して、風の動きを巧み […]
「和合」とは、「和合二聖」、すなわち唐代の僧寒山、拾得のこと。夫婦が仲睦まじくあるようにと願うもので、民間で好まれる画題である。後方の合仙が持つ 盒から多数の蝙蝠が飛び立っていく。蝙蝠は富貴の象徴とされた。また、前方右の […]
一つ一つ散り落ちる花びらの数を見て数えていたのは長い間座っていたためで、のどかに芳しい草を愛でていれば帰りも遅くなろう…北宋の王安石(1021~1086)の「北山」の 一節を引用した美人画である。人物の上方には春を呼ぶ燕 […]
本作品は、光緒21年(1895)冬63歳時に彼の画室・雙管樓にて描かれた。羅浮山(広東省増城東)に遊んだ男(趙師雄)が美女と出会い酒を酌み交わして語る中に眠ってしまい、目覚めると梅があるのみだったという隋代の故事に因む。 […]