新館 特別展示室
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【展覧会概要】
観峰館が収蔵している資料には、近代中国の官僚たちによって制作された書が多く含まれています。彼らに求められたのは、強烈な個性を表す文字を書くことではなく、誰にでも読める伝統的な「きれいな字」、すなわち字の形が整っていて、見る者にとって快く感じられるような書風の文字を書きこなすことでした。本展では、このような近代中国の「きれいな字」を中心に展示を構成し、現代の日本人にとっても親しみやすい書の作品を紹介します。
中国で生まれ、育まれた「きれいな字」の伝統は、日本でも学ばれるものとなっています。そこで本展では、収蔵品の中から、近代日本の人々が中国の書に倣って書き上げた作品や、当時の人々が「きれいな字」の手本として用いた教科書なども、あわせて展示することといたしました。これらの作品を通して、現代に生きる私たちがどのような字を「きれいな字」と捉えているのか、見つめ直してみたいと思います。
今回の企画展では、第1部を「近代中国の書」、第2部を「日本の書」として、展示を構成いたしました。以上の展示を通して、字を「書く」機会の少なくなった現代の日本人に「書」や「習字」に親しむ機会を提供することが、本展の目的です。
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観峰館 令和4年(2022)年度 夏季企画展「きれいな字―近代中国と日本の書―」出品リスト(441KB)
観峰館 令和4年(2022)年度 夏季企画展「きれいな字―近代中国と日本の書―」作品解説(3.62MB)※図版に誤りがあったため一部修正しております(2022年8月11日)。
観峰館 令和4年(2022)年度 夏季企画展「きれいな字―近代中国と日本の書―」展示パンフレット(859KB)
【主な展示作品】
第1部 近代中国の書
観峰館は様々な資料を収蔵していますが、それらの中で最も大きな割合を占めているのが、清時代後期~中華民国初期頃(概ね1800年代~1940年頃)に制作された肉筆の書や絵画です。これらの資料だけでも20,000点に及びます。その内、書は約3,000点です。
第1部では、これらの中から、近代中国の官僚たちが楷書や行書で書いた作品と、手本を見て写した臨書作品をご紹介します。
Ⅰ.楷書―唐の四大家に倣う―
現代でも公式書体として使用される楷書によって書かれた作品を紹介します。
中国における文字の歴史は長大で、現存最古の文字資料である甲骨文から数えても3,500年余りの歴史を有します。楷書体は、歴史的には最も後に出来た書体です。その萌芽は3世紀頃にはすでに見ることが出来ますが、唐時代(618~907)に至って一つの典型を作りあげます。
そこには、「唐の四大家」と呼ばれる4人の名人、欧陽詢(557~641)/虞世南(558~638)/褚遂良(596~658)/顔真卿(709~785)がいました。彼らの書法は、楷書体における一つの理想形として、後世の人々に参照され、倣われるものとなっていきます。
ここでは、唐の四大家に倣う楷書の作品をご紹介します。一点一画を揺るがせにしない楷書の姿をご覧ください。
Ⅱ.行書―中国書法の正統派―
行書は、点画を連続させたり、省略したりする書体です。現代では楷書を崩して書いたものと思われがちですが、歴史的には、漢時代(前206~220)に用いられていた書体である隷書を速写するなかで生まれてきたと言われます。
行書の手本として用いられる代表的なものは、東晋時代(317~420)の王羲之(303?~361?)によって書かれた作品群です。王羲之は「書聖(しょせい)」と呼ばれ、特に唐時代以降、理想とすべき書の古典として、東アジアに存在し続けてきました。
ですが、現在では、王羲之の書で確かなものは残っていないとされています。その書は拓本などの「写し」を通して伝えられてきました。また、歴史の中には元の趙孟頫(1254〜1322)など、王羲之を引き継ぐと評価される書の名人たちがいます。後世の人々は、王羲之の拓本や各時代に存在した名人の書を通して、伝統的な行書を学んできたのです。
ここでは、王羲之や趙孟頫の書に倣う、伝統的な書風の行書作品をご紹介します。流麗な姿の書をお楽しみください。
Ⅲ.臨書―先人に学ぶ、伝統に挑む―
手本を見て書き写すことを「臨書」と言います。ここでは、近代中国の書家たちによる臨書作品を紹介します。
臨書では、手本の形をそっくりに写すことだけではなく、手本が持っている筆の勢いや雰囲気を写すことも行われます。書家によって、写そうとするものは様々です。たとえ同じ手本であっても、書家が異なれば、同じ臨書作品になることはありません。
ここでは、あらゆる書体の臨書作品をご覧いただきます。書家たちがどのように古典と向き合い、先人に学んでいるのか、さらには中国書法の伝統にどのように挑んでいるのかをご覧ください。
第2部 日本の書
観峰館が収蔵している日本の書画は100点ほどです。中国の書画を約20,000点収蔵していることに比すれば少ないものの、この中には、江戸時代から近代日本の著名な書家による作品が含まれています。
また、肉筆ではありませんが、書を学ぶための手本として用いられた和本/教科書類の資料を10,000冊以上収蔵しています。これらの資料によって、近代の日本人がどのような書を手本として学んできたのかを追うことが出来ます。
これらの資料の中から、本展では、日本の人々が「きれいな字」の手本として用いた教科書や、それらの執筆に携わった日本人書家の作品を中心に展示します。
Ⅰ.江戸から近代へ―漢字書法の展開―
江戸時代まで寺子屋で行われていた文字教育は、明治5年(1872)の学制発布以降、学校で行われるものとなっていきます。そこで手本として用いられたのは、中国の書に倣う「唐様」の書でした。
明治以降、中国との交流が盛んになることを背景として、当時の書家たちは江戸時代とは異なる書風を実践していきます。彼らが学んだ中国の漢字書法は、子弟へ直接教授することや、手本として出版することを通して、多くの人々へと伝わっていきました。
ここでは、江戸時代後期から近代日本で活躍した書家たちの作品を中心に展示いたします。また、これらの作品とあわせて、書の手本として発行された教科書等も展示します。近代以降の日本で、どのような書が学ばれていったのか、その一端をご覧ください。
Ⅱ.近現代の「きれいな字」―仮名の書と習字手本―
中国から伝来した漢字を用いて日本語を表記する方法として、日本人は「かな」を生み出しました。中国の書に倣う漢字書法が学ばれると同時に、和歌や手紙文、あるいは日常の筆記全般の方法として、かな文字の書き方も学ばれています。ここではまず、かなの書や手紙文の手本などをご紹介します。
近代以降、鉛筆やペンなどの硬筆が主要な筆記具となったため、毛筆で文字を書く機会は減少していきました。さらに現代では、文字は「書く」ものから「打つ」ものへと変容を遂げつつあります。その一方、「文字をきれいに書きたい」「文字を書くことが楽しい」という人も少なくありません。これらの需要に応えているのが、習字教室や書道教育に携わる人々です。
本展の最後に、戦後の日本で習字の通信教育を展開し、その半生を書道教育に尽くした原田観峰(1911~1995)の書を取り上げます。「正しい文字・美しい文字」を提唱し、亡くなるまで習字手本を執筆し続けた原田観峰の書をご覧ください。
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▼バーチャル観峰館でも夏季展をご覧いただけます※7月2日(土)から9月16日(金)までの公開となります。
【イベント情報】
【関連出版物】
展示作品の一部が掲載されています。※本展の図録ではありません。
【メディア掲載情報】
【メディア掲載情報】毎日新聞(2022年8月25日(木)滋賀版)
【メディア掲載情報】東近江スマイルネット「e-おうみNOW!!」(2021年7月27日(水)18:00放送)
【メディア掲載情報】号外NET東近江市・近江八幡市(2022年7月4日)
【メディア掲載情報】東近江市観光Web(2022年6月23日)
【メディア掲載情報】Kita-Colle ART(2022年6月17日)
【広報物】
夏季企画展「きれいな字―近代中国と日本の書―」A4チラシ(3.31MB)
夏季企画展「きれいな字―近代中国と日本の書―」B2ポスター(1.77MB)
▼東近江市の博物館・美術館 令和4年(2022)夏の展覧会ポスター(クリックで拡大します)
▼報道関係の皆様へ
プレスリリース 2022年度 観峰館 夏季企画展「きれいな字―近代中国と日本の書―」(2.12MB)
【お得な情報】
「ミュージアムぐるっとパス・関西2022」のご案内(観峰館でご利用の場合)
【同時開催】
【動画】