この瓦当に鋳込まれた文字は、鳥蟲篆と呼ばれ、中国・春秋時代より、主に南方で用いられた漢字の一種です。「永寿嘉福」とは、永く幸せを受けるという意味です。
〜
武士祠は、後漢の地方豪族であった武氏一族の祠であり、石室には画像が彫られています。展示の拓本は西石室第四石で、上中下段からなります。その中段が、「荊軻刺秦王」で、荊軻が始皇帝の暗殺を試みるも、失敗に終わる場面となっていま […]
〜
秦の始皇帝が現在の山東省中部を巡遊したときに泰山に立てた記念碑 (前 219頃) 。現在泰安市の岱廟にある。その書は李斯の筆と伝えられ、秦篆、小篆と呼ばれる。宋代に断片が発見され、もと222字が存在したが、現在は10字ほ […]
〜
春秋時代、曽参(そうしん)という人がいました。彼は非常に親孝行で、いつも両親の好みに合わせて食事を作っていました。曽参の父親が亡くなると、曽参は羊棗(やんつぁう、柿の一種)を二度と口にしなくなりました。曽参の父親が大好物 […]
〜
春秋時代・郯国の君主であった郯子(生卒年不詳)が鹿の皮をかぶり、膝をついて右側に佇む猟師に話しかける様子が描かれています。郯子は両親の眼病を治すために鹿の乳が必要だったため、鹿皮をかぶって鹿の群れにまぎれ、乳を搾ろうとし […]
〜
氷上に座り、氷の割れ目から顔をのぞかせる鯉を眺める男性を描いています。これは、三国時代・晋の王祥(185~269)が継母のために氷の下で泳ぐ鯉をとろうとしたところ、天がその孝心に応じて氷を溶かし、二匹の鯉が飛び出てきたと […]
〜
弦高(生卒年不詳)は春秋時代の行商人でした。あるとき、道で秦国の軍勢に出くわし、彼らが密かに自分の祖国である鄭国を攻撃しようとしていることを知ります。そこで弦高は、鄭国に使いを走らす一方で、自分は鄭君からの使いだと偽り、 […]