封泥「郡右邸印」

出土例あり。『漢書』百官公卿表では、秦官に典客の属官として郡邸があり、長(長官)・丞(次官)が置かれたとある。顔師古は「主諸郡之邸在京師者也」と注する。ただし、郡邸が左右に分かれていたかについては記載なし。

       

封泥「中厩丞印」

出土例あり。『漢書』武五子伝戻太子拠の「征和二年…具白皇后、発中厩車載射士」に顔師古は「中厩、皇后車馬所在也」と注す。雲夢睡虎地秦簡・厩苑律にも「其大厩・中厩・宮殿馬牛殹(也)」と見える。『漢書』百官公卿表に、秦官では太 […]

       

封泥「郡右邸印」

出土例あり。『漢書』百官公卿表では、秦官に典客の属官として郡邸があり、長(長官)・丞(次官)が置かれたとある。顔師古は「主諸郡之邸在京師者也」と注する。ただし、郡邸が左右に分かれていたかについては記載なし。

       

封泥「咸陽丞印」

出土例あり。咸陽は秦の国都。『史記』始皇本紀に「孝公十三年、始都咸陽」とある。『漢書』百官公卿表に、県令・長の下に丞が置かれたとする。

       

封泥「宦者丞印」

出土例あり。『漢書』百官公卿表では、秦官に少府の属官として宦者があり、令(長官)・丞(次官)が置かれたとある。また、『史記』廉頗藺相如列伝に「藺相如者、趙人也、為趙宦者令繆賢舎人」と見える。

       

封泥「高章宦丞」

文字の残欠部分と、すでに発見されている封泥の官職名とを勘案すれば、高章宦丞であろう。史書に記載なし。高章宦者の封泥も発見されていることから、高章宦者丞の略称か。

       

封泥

出土例から勘案すれば、御厩丞印・宮厩丞印・章厩丞印・官厩丞印・泰厩丞印・中厩丞印・小厩丞印・左厩丞印・右厩丞印のいずれかであろうか。

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