封泥「内官丞印」

出土例あり。『漢書』百官公卿表は、宗正の属官に内官長・丞があったが、当初は少府の属官であったとする。顔師古は『漢書』律暦志の度の項に拠り、内官は「主分寸尺丈」と注する。

       

封泥「宦者丞印」

出土例あり。『漢書』百官公卿表では、秦官に少府の属官として宦者があり、令(長官)・丞(次官)が置かれたとある。また、『史記』廉頗藺相如列伝に「藺相如者、趙人也、為趙宦者令繆賢舎人」と見える。

       

封泥「中羞丞印」

出土例あり。史書に直接の記載はないが、『漢書』百官公卿表に「初御羞・上林・衡官及鋳銭皆属少府」と見える。「羞」は「饈」で食膳の意。「御」が一般に帝王に関するものを指すように、「中」は多く皇后を指す。

       

封泥「御羞丞印」

出土例あり。史書に直接の記載はないが、『漢書』百官公卿表に「初御羞・上林・衡官及鋳銭皆属少府」と見える。「羞」は「饈」で食膳の意。「御」が一般に帝王に関するものを指すように、「中」は多く皇后を指す。

       

封泥「高章宦丞」

文字の残欠部分と、すでに発見されている封泥の官職名とを勘案すれば、高章宦丞であろう。史書に記載なし。高章宦者の封泥も発見されていることから、高章宦者丞の略称か。

       

封泥

すでに発見されている封泥の官職名を勘案すれば、〓部分は左か右であろう。出土例あり。『漢書』百官公卿表では、秦官に典客の属官として郡邸があり、長(長官)・丞(次官)が置かれたとある。顔師古は「主諸郡之邸在京師者也」と注する […]

       

封泥「私官丞印」

文字の残欠部分と、すでに発見されている封泥の官職名とを勘案すれば、私官丞印であろうか。出土例あり。ただし、管見の及ぶ限り全て横日字枠線であり、田字枠線のものは未見。咸陽塔児坡遺跡からは昭襄王三六年私官銘鼎が出土している。 […]

       

封泥「南宮郎丞」

出土例あり。『史記』秦始皇本紀「十年…復居甘泉宮」の集解で徐広は「表云咸陽南宮也」と注している。また『漢書』百官公卿表には秦官として、宮殿の門戸を掌る郎中令の属官に郎が見える。

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